月に代わって―第八期指す将順位戦を振り返って

 第八期指す将順位戦、通算6期目、B級2組に参加して三年目になる私の成績は、一位であった。

最終成績

 一位!?

 まさかこんな好成績を収めようとは。今季の開幕前に私の一位を予想した人は一人もいまい。なんなら昇級候補だとさえ思われてはいなかっただろう。私自身、こんな結果になろうとはつゆほども予想していなかった。期待すらしていなかったと言って良い。昨季の成績を考えれば、当然というものであろう。

 本稿を書くにあたって、昨季の振り返り記事を読み返した。我ながら名文だと思うが、今年から私と関わるようになった人は何のことか分からないかもしれない。そう思うと、一年という時間の長さを感じる。あの記事を書いたころから、私の状況はたいして変わっていない。私は多くを失ったままである。だが、それと同時に多くのものを新たに手に入れたとも言いうる。この記事を読んでくれている少なくない人々がそれにあたるだろう。

 今期の将棋を振り返ると、実に逆転勝ちが多かった。11局のうち、明確に形勢を損ねずに済んだのは僅かに3局で、のこり8局は途中で苦しい時間を過ごす羽目になった。それでいてそこから6勝を拾ったのは大きな自信になった。特に最後の四連戦をすべて大逆転で勝ちにしたのは強運か実力か。僭越ながら両方だということにさせて頂きたい。ただ、逆転が多いということは、一旦形勢を損ねているということを意味している。特に今期でいえば、中盤に落手を指してあっさり不利に陥ることが非常に多かった。今期は幸運にも勝ちを拾うことが出来たが、B1ではこうも行くまい。オフシーズンの間にしっかり改善策を練らなければならない。

 さて、今期の好成績の要因は、幸運以外には三つ考えられると思う。第一に、動画投稿である。今年は去年に比べて実戦や勉強に使う時間はたいして増えていない。だが、動画を作る上で膨大な時間を将棋に関連する何かしらのリサーチに費やしている。それらは直接私にとって有益な知識をもたらしたり訓練になったとは思えない。だが、将棋に向き合う時間そのものはかなり多い年になったのであり、これが何らかの好影響をもたらした可能性はあると思う。

 第二に、詰将棋を解くようになったということである。去年までの私は、棋譜並べと手筋問題をメインに勉強していた。家では棋譜並べをし、出先の隙間時間では手筋問題を解くというものであった。だが、動画投稿に精を出すようになると家で棋譜並べをする時間は無くなった。また、近世詰将棋史シリーズを作り出す少し前ごろから、手筋問題よりも詰将棋を解く方が楽しいと感じるようになった。喜びで詰将棋を解くようになったというのは、少し前の私なら信じられないことである。だが、これが私の将棋に好影響をもたらした可能性は高いと思う。

 第三に、時間を使うということである。今年わたしとよく通話していた方は私がことあるごとにこの点に言及していたことを思い出せるだろう。今回上げた三点の中で、私はこれが最も重要な要素であると確信している。今期の私は、「秒読みに入ってからノータイムで指さない」ということを裏テーマとしていた。むしろ表テーマと言ってもいいかもしれない。1回戦を終えたころであろうか。私は考えていた。「秒読みに入った後、勝負手をノータイムで指すことに意味はあるか?」「この一手である局面で時間を使うことに意味はあるか?」私は一つの結論に達した。

 秒読みは常にギリギリまで考えてから指すべきである。

 唯一の例外は、完全に勝ちを読み切った場合のみである。もう一秒も使わなくても勝てると確信した時を除いて、時間を残して指すのはあってはならない。というのも、ノータイムで指すことにはメリットがないからである。よく言われることは、相手に考える時間を与えないというものである。こちらの手は限られているのに対して、相手は手が広い局面であれば、ノータイムで指すことにメリットがあると思われるかもしれない。いわゆる時間攻めの論理である。だが、これは妥当しない議論である。理由は単純である。

 我々は、有効に時間攻めをし得るほど強くないのである。

 優勢な局面で時間攻めを行うことは、逆転のチャンスを与えるだけである。劣勢な局面で時間攻めを行うことは、逆転のチャンスを捨てるだけである。劣勢な局面が劣勢になっているのは、読みが浅かったり見落としがあったりしたからである。元々そんなんなのに自ら読む時間を放棄して一体何になるというのか。

 これまでの自分の将棋を内省するに、秒読みに入っているにもかかわらずノータイムで指すのは甘えだったのだと思った。苦しい局面を見つめるのが嫌で、いくら読んでも悪いあの苦しみを味わいたくなくて、勝負手を免罪符にしていたのだ。ここは取る一手だからと言い訳しながら、その後の展開を読むのをサボっていたのだ。時間攻めが有効かどうかを判断できるくらい強いならそもそも時間攻めが必要な局面にはなっていないのである。目を背けたいほど苦しい局面を秒が切れるギリギリまで睨み続ける覚悟が必要なのだ。ノータイムで指すならば、それが逃げや甘えでないことを完全に納得した上でなければならない。私が今季一位になりたかった最大の理由は、この言説に説得力を持たせたかったからと言っても過言ではない。

 ただ、もしかしたら時間の使い方よりも重要な要素もあったのかもしれない。私は開幕五連勝したあと、明らかに少したるんでしまっていた。私は、指す順は8勝3敗が昇級ラインだと思っている。開幕五連勝ということは、のこり3勝3敗でも昇級できることになる。指し分けで良いのだ。残り指し分けでいいなら気も楽というものだ。…と思ったら6回戦7回戦と連敗してしまった。私はここで気づいたのだ。指し分けでいいやと思いながら勝てるほど指す順は甘くない。

 ちょうどその頃、大阪でちょっとしたオフ会があった。飲みの場ではあったし、そんなちゃんとした流れがあったわけでもなかったが、私は確かに宣言したのだ。残り全部勝つ。勝って昇級する、と。これくらい強い気持ちが必要なのだ。これを有言実行できたのは誇りに思う。もしかしたら、幸運とか実力の問題ではないのかもしれない。結局、一番大事なのは気持ちなのかもしれない。あまりにベタすぎる結論だが、きっとそう間違ってはいないだろう。

 ところで、私は今期に当たっての一言で次のように述べている。

指す将順位戦。それはただ11の将棋を指すだけのイベントではない。そこには人がいて、関係性がある。出会い、別れ、受け継がれるもの。盤上は孤独で、過酷で、一人歩く冬の夜道のようである。もし私の将棋が、誰かにとってそんな夜を照らす月光となれたなら。そんな将棋を指すことが、今期の目標である。

指す順システムより

 これを書いてから季節は流れ、冬はもうすぐそこまで迫っている今日この頃だ。今見返すとだいぶ大きなことを言っている気がするがどうだろうか。そうなれただろうか。あえて、去年の記事のタイトルを流用して本稿を締めてみるのも悪くないかもしれない。私はここにいる、と。

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