【感想】「映画ドラえもん のび太の地球交響曲」について

 先日ドラえもんの新作映画を観てきた。本稿はその感想である。ネタバレ等の配慮は行わないので気にする方は自衛してほしい。

 本作はまず、音楽の授業でのび太らがリコーダーの練習をするところから始まる。うまく吹けずに馬鹿にされるのび太だが、私もリコーダーは大の苦手だったので非常に共感した。ここでのび太はあらかじめ日記を用いて誤魔化すことを考えるが、うまくいかずに失敗してしまい、結局真っ当に練習するしかないとドラえもんに諭される。この論点は本作のテーマの一つだが、後述するひみつ道具との兼ね合いで困難な問題を抱え込んでしまっている。

 ここで問題なのは、あらかじめ日記を用いた是非である。あらかじめ日記はソノウソホントに並ぶ最強チートひみつ道具の一つであり、未来の事象であればなんでもコントロールすることができるぶっ壊れである。これを使えばなんでも解決できるため、ある種の禁じ手とされてきたように思う。本作ではドラえもんに「使うのは難しい」と説明させた上で実際にのび太が使いこなせない様を描写することで万能アイテムではないということを示そうとしているが、どれほど成功しているか。作劇の都合上でもあらかじめ日記である必要は感じられなかったので、ただご都合主義感を高めてしまっただけなように思われる。

 ストーリーに話を戻そう。のび太が河原でリコーダーを練習していると、ミッカという女の子と出会う。これは非常に良いキャラだった。のび太に対して若干口が悪いのも可愛いし、ずっとのんびりメガネ呼ばわりだったのに最後の最後でのび太お兄ちゃんと呼ぶのは完全に刺しにきている。ミッカは良いロリ。意外とドラえもんでは珍しいキャラなようにも思う。

 なんやかんやあってのび太ら一行は地球の近くにある宇宙船「ファーレの殿堂」を訪れ、そこでミッカの正体が惑星ムシーカから来た宇宙人であることを知る。殿堂は今は休眠状態にあり、起動するには音楽の力が必要なのだという。そこでのび太らはドラえもんの道具で各々の担当楽器を決め、練習を始めることになる。

 ここで問題になるのは、ドラえもんが配った音楽家ライセンスという道具である。これは楽器と意思疎通ができるようになり、練習を積むことでレベルアップして演奏も上達するという道具である。この道具は、先述したテーマ「地道に練習しなきゃいけない」との関係においてかなり微妙なのが分かるだろう。確かに音楽家ライセンスは練習せずにいきなりプロ並みの演奏ができるようになるといった道具ではない。だが短い時間の練習で素早く上達するのを助ける道具ではある。ドラえもんが批判した裏技的抜け道との区別はかなり難しいところではないだろうか。この辺りはもっと説明があった方が丁寧であったように思う。
 
 もう一つ気になるのは、各キャラの担当楽器である。ジャイアンがチューバ、スネ夫がバイオリン、静香がボンゴ(および打楽器全般)、のび太がリコーダーである。のび太とリコーダーというのは作品全体を貫く軸であるからこれは良い。ジャイアンが低音というのもイメージに合っている。だがスネ夫がバイオリンというのはどういうことなのだろうか。バイオリンといえば静香ちゃんである。静香ちゃんはバイオリン本当に下手くそなので物語の都合上彼女にバイオリンを担当させることができないのは仕方がない。だが静香ちゃんはバイオリンのことが好きなはずで、それをスネ夫に取られて文句ひとつなく受け入れているのはやや違和感がある。難しいところだが、作劇上の都合で仕方のない配役だったのかもしれない。

 その後のび太ら一行はなんやかんや殿堂を復活させることに成功するが、ここで惑星ムシーカを滅ぼしたノイズという粘菌状の宇宙生物が今度は地球を狙っているということが明らかになる。ノイズは音楽を嫌う性格があり、殿堂の面々と協力して撃退しようとするのび太らだが、ここでドラえもんがノイズに感染してダウンしてしまう。そしてドラえもんを助けるためには伝説の笛(正式な名前は忘れた)が必要だということになる。

 ここからの展開があまりにもあんまりである。ミッカには実は双子の妹がおり、ミッカがコールドスリープに入る前、すなわち今から四万年前に地球に送られており、その子が笛を持っているというのである。そして物語序盤からちょくちょく言及されていた歌姫ミーナなる人物がその子孫であり、先祖代々笛を継承していて今も持っているというのである。ミッカがミーナから笛を借りることで入手に成功、という流れになる。

 いや、あまりにもあんまりじゃないか?宇宙人が地球人と同じ外見なのは突っ込むだけ野暮というものだ。宇宙人なのに地球と全く同じ楽器を弾いているのも引っかかるけどこの際目を瞑ろう。だが地球人と交配して子孫を残せるのは一体どういう理屈なんだ。流石にファンタジーでは片付けられないだろう。仮にそれに目を瞑ったとしても、四万年前から先祖代々笛を継承し続けるとか無理にも程がある。三種の神器でも1000年もってるか怪しいんだぞ。一般人が四万年って…。

 かなり無理がある展開である。笛が四万年前に地球に渡っているという展開さえ諦めれば、宇宙人が地球人と交配してるとか、四万年間継承しているとか、そういう無理をせずに済んだだろう。なぜこんな無理をしてまでこの展開に拘泥したのかは理解に苦しむ。おそらく、どうしてもミーナを出したかったのではないだろうか。これは想像だが、おそらくシナリオが固まる前からゲストヒロインとしてミッカとミーナが先に決まっていたのだろう。星を追われた女の子とのび太が出会う。星を食う敵と戦うに際して、地球側の音楽の代表としてミーナは予定されていたのではないだろうか。だが実際にはシナリオはミッカ側に深掘りされ、ミーナは取り扱いに困るキャラになってしまった。そんなミーナを無理矢理ミッカの物語に組み込んでしまった結果がこの強引な展開だったのかもしれない。ミーナが重要そうな割には出番が少なく深掘りもされずあっさり終わってしまったのはこういう背景があった可能性もある。本来ならば、良い幼女としてのミッカに対してミーナは良いお姉さんになっていたのかもしれない。実に惜しい。

 かなりの無理を通して笛を手に入れたのび太らは、ドラえもんを治すことを試みる。だが笛の力だけでは足りず、のび太らも一緒に演奏することでようやくドラえもんを治すことに成功する。このシーンでカスタネットを叩いているしずかちゃんは超可愛いので必見である。また、ずっとリコーダーが上手く弾けずにウジウジしていたのび太がここでドラえもんを治すために啖呵を切るのは熱いシーンであった。なお、本作ではウジウジ担当がのび太になっている都合上、スネ夫がほぼウジウジしていない。中盤以降常に自信たっぷり余裕綽々であり、ドラえもんの映画にしては珍しいだろう。
 
 ドラえもんが回復したので次はいよいよ殿堂と力を合わせてノイズを打ち倒すことになる。そしてここで演奏される楽曲のタイトルこそ、「地球交響曲」である。このタイトル回収は熱かった。ドラえもんはこういう熱いタイトル回収をあまりやらないイメージなので、来るぞとわかっていても痺れた。

 ところでこのノイズという怪物は作中で一言も発さず、意識や自我がある様子は全く描写されていない。映画ドラえもんにおいて、敵役がこのような純粋に非人格的な存在なのは初めてではないだろうか。ノイズは悪役というより災害であり、このような意味で本作はかなり珍しい作品であるといえよう。

 結局のび太らが殿堂と力を合わせてもノイズには勝てずピンチに陥るのだが、ここであらかじめ日記の伏線と序中盤で張られていた時空間チェンジャーというひみつ道具に関する伏線が回収され、地球中の音楽が宇宙に響いてノイズを撃退することに成功する。この展開は非常に熱いし、時空チェンジャーに関して張られた伏線の回収は非常に巧みで見事である。それだけに、あらかじめ日記に頼る必要はなかったように思われて残念でもあるのだが。

 スケール感も壮大で熱い展開も多く楽しめたが、随所に展開の強引さが見られ気になるポイントも多かった。子供騙しとの誹りを免れるかは相当に疑わしいと言わざるを得ない。特にミーナ関連はどうにかならなかったか。そこさえうまく捌ければ、という展開で結局捌けなかったという印象である。実に惜しい。

 ところで最後に来年の映画の告知がちらっと流れたのだが、魔法使い風の衣装を纏ったドラえもんとヨーロッパの古城風の建物というカットであった。ドラえもんが魔法使い風の衣装を着ているということで真っ先に思い浮かぶのは魔界大冒険であるが、それはすでにリメイク済みなので流石に3回目のリメイクは来ないだろう。だとすれば有力なのは夢幻三剣士である。夢幻三剣士は大長編と映画でかなり異なっていたりと話題に富む作品であり、ここでリメイクだとしたらかなり熱い。尤も、完全新作の可能性も非常に高いので何とも言えないが。来年以降の展開も楽しみである。

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