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心境の変化

毎日寒いですね。一年で一番寒い時期です。
今日の記事はどなたにも特にならない、
今の私の気持ちを書き示す内容なので面白みはありません。
私宛への記録なのでご了承ください。

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翔は昨年2月14日に亡くなり昨年の秋頃からずっと
2月が来ることが怖かった。
翔が亡くなった悲しみのフラッシュバッグに襲われ辛い記憶が蘇るしかない。
こんな風に思っていた。

けれど実際は意外と冷静で、悲しいことに変わりはないけれど悲しい以外の大きな気持ちが湧いている。

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昨年1月上旬に急性膵炎になり完治することなく退院。
12月に血液検査をしていたので比較をすると、この血液は本当に翔なの?違う子じゃないの?
と、疑ったくらい。

膵炎になり一気にハイシニアなんだということを実感した。憎し膵炎のせいで翔は一気に老けた。
先生は膵炎前までは、成人式迎えたら何しようかなんて言っていた。

退院時に先生は、

こういうことがあるのがハイシニアの怖さ…治してあげたい、治したい。けれど翔ちゃんの痛みを取れるだけ取って穏やかに過ごせるようにしていこうね。やれる限りのことをするからね。

と話しくれた。

翔がシニアになってから先生に話していたのは、
もし翔が延命治療をしないと駄目な状況にいつかなっても、あまり見込みがなく苦しいだけなら延命治療はなるべくしたくない。楽でいてもらいたい。

と話していて先生も理解を示しいた。

膵炎後に

延命治療はあるのか?

それは聞かなかった。
先生も何も言わなかった。
それに対して後悔はない。

入院中から歩けなくなった翔。
また元気になってきたら歩けると信じていた。

歩けないけど歩きたがるから身体を支えて、歩きたい場所へ一緒に行った。
歩ける日まで私が翔の足になれば良い、そう思った。

食欲はある日とない日はあったけれど、全く食べないという日はなかった。最期の日も食べていた。

何なら食べたいのか、何なら食べれるのか毎日考えた。おかしいけれど、その時間は私にとって幸せだった。
翔のことだけを考えている時間だったから。

夜泣きもするようになり、完全に認知症にもなっていた。
これまでいわゆるグル活や夜泣きはなかった。

戸惑う日々。
けれど愛しさは変わらずで、とても可愛いかった。
もしかしたら生涯で一番可愛い時期だったかもしれない。

こんなことを思い出していたら、私は間違っていたと気づいた。

病気になり歩けなくなり衰弱した翔を私は可哀想だと思っていた。

けれどそれは違うんじゃないか…

翔は懸命だった。
入院中、危うい時もあった。
けど踏ん張って家に帰ってきてくれた。

18年間何もなく居てくれたこと自体が奇跡で、
出会ってくれたことずっと側にいてくれたこと全てが愛しく尊く、
最期の一か月もしかしたら寿命を頑張って伸ばして私に準備の時間をくれていたのではないか。。

悲しい、可哀想なことは何一つない。
立派な子だった。感謝しかない。

心からそう思えたら可哀想という感情はなくなった。

逢いたい、触れたい、忘れることはない。
だから悲しみはないとは言わない。

けれど、ようやく翔の人生を受け止められた。

だから私は静かに慈しみながら一年の節目の日を迎えられそう。
そんな気がしている。

愛してるよ翔。世界中の誰よりも。


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