『百年の孤独』の最初の20ページの面白さは尋常ではない

『百年の孤独』の最初の20ページの面白さは尋常ではない。頭がぐらぐら揺すられる。のっけから「長い歳月がながれて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたにちがいない」である。現在が定まらないまま死に際に飛ばされたかと思ったら、即座に遠い過去へとぶん投げられる。というかアウレリャノ・ブエンディア大佐って誰だ、そして「恐らく……ちがいない」と推定しているお前は誰だ。

新潮社の単行本で最初の20ページ、つまりは改ページが現れるまでの第1章とくくれる範囲には、同種の表現が頻出する。「生涯忘れなかったにちがいない」「死ぬまで覚えていたことだろう」「この村でも二度とあらわれないと思うほど進取の気性に富んだ」「長い歳月が流れて」……。時間を超越しつつも、全知ではない。 「ちがいない」「ことだろう」「と思うほど」などと推定が挟まる、人間味ある神視点。こうしたいわば「一人称神視点」を採用し、その正体を合理的に説明がつくよう設定した作品もいくつか浮かぶが(ネタバレになるので具体名は挙げずにおく)、本作ではそうした語り手の「正体」は存在しない。強いて言えば小説それ自体という感じがする。

第1章には以下のような表現もまた頻出することに注目したい。「自然の知慮をはるかに超え、奇跡や魔法すら遠く及ばない、とてつもない空想力の持ち主だったホセ・アルカディオ・ブエンディア」「メルキアデスの知識は想像を絶する極限に達した」「想像力の境界を信じがたい極限にまで押しひろげながら」「事物の背後にある世界をかいま見たとしか思えない東洋人ふうの目つき」……。

人間の想像力の可能性と極限、その探究。ここで鍵になるのが近代科学である。ジプシーのメルキアデスはマコンドの地に科学をもたらした。棒磁石、望遠鏡、羅針盤等々。彼は言う。「科学のおかげで距離なんてものは消えた。人間がわが家から一歩も外に出ないで、地上のすべての出来事を知ることができる日も、そんなに遠くはない」(なんと的確な予言!)。

それに対して族長ホセ・アルカディオ・ブエンディアはどうしたか。妻ウルスラをはじめとする周囲の怪訝をはねのけ、自らのうちに存分に取り込んだ。そのこともやはり、最初の1文目に埋め込まれている。「氷」はジプシーがもたらしたものだった。ホセ・アルカディオ・ブエンディアは初めて氷を見たとき「こいつは、近来にない大発明だ!」と熱狂した。そして自らも科学実験に没頭する。「やがて器具の扱いに慣れた彼は、空間というものをはっきり理解し、自室を離れるまでもなく未知の大海原で海をあやつり、人煙まれな土地を訪れ、すばらしい生き物と交わることもできるようになった」。天体の運行を観測しつづけた彼は、ついに叫んだ。「地球はな、いいかみんな、オレンジのように丸いんだぞ!」。西洋が古代ギリシャの時代から議論し、マゼランが世界一周をなしとげたことでたしかなものとなった地球球体説に、たった一人でたどり着いたのである。

おそらくガルシア=マルケスにとっては『百年の孤独』という作品そのものが、そのようなひとつの実験だったのではないだろうか。だから語りは人間の認知の限界を突破し、時空を飛び越える。霊が立ち歩き、天から花が降り注ぎ、少女は土を食べ、神父の体は浮遊し、家系図は途方もなく伸長しつづける。小説にはそれができる。

木村榮一『ラテンアメリカ十大小説』(岩波新書)によれば、本作の構想は10年以上あったものの、文体が決まらずに難航したらしい。だが、ガルシア=マルケスはある日ついにひらめいた。「やっと語り口が見つかった。……祖母と同じように何食わぬ顔をして幻想的な話を語ろうと思うんだ!」。そう妻に告げると、18か月間自室に閉じこもって本作を書き上げたという。実に、ホセ・アルカディオ・ブエンディアの姿と重なるではないか。

私の大好きな箇所がある。ホセ・アルカディオ・ブエンディアの次男アウレリャノ(アウレリト)が「戦争ですよ。二度とぼくを、アウレリトと呼ばないでください。今ではぼくは、アウレリャノ・ブエンディア大佐なんです」と言って章が終わり、次の章が「アウレリャノ・ブエンディア大佐は三十二回も反乱を起こし、そのつど敗北した」で始まるくだり。冒頭1文目の「大佐」誕生の瞬間であり、ストーリーのモードが切り替わる地点でもある。ここを最初に読んだとき、カタルシスに打たれた。まるで語り手=小説がアウレリャノを大佐にして、マコンドに戦争をもたらしたかのような……。語られる内容と語りそれ自体の転倒? いや、つい忘れがちだがごく基本的な事実として、物語りとは本来そのようなものである。

徹頭徹尾、『百年の孤独』は語ることのカタルシスに満ちている。

初出:『本の雑誌』2024年4月号    掲載時タイトル「語ることのカタルシス」


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