締切と人生と『ライティングの哲学』

『ライティングの哲学』(星海社新書)を読んだ。書くにあたって大事なのは冗長性を許すこと、という指摘に触発されて、これを書いている。千葉雅也さんは研究者の性分として冗長な文章を自制してしまっていた(小説を書いたことでそれが変わってきた)というが、これは編集者の病でもあると思った。帯という数十ミリのスペース上に、情報を効果的に入れる。ヒトは情報ぎらいだから、無駄な情報をそぎ落としていき、その本の「売り」になる必要十分な情報を。デザインとの絡みで、きれいな見た目になるよう1行あたりの字数を調整する。文庫の場合、カバー裏のあらすじの文字数は何字×何行と決まっていてぴったり納めなければならない。商品パッケージとしての文章。散文的な文章を書くのが非常に苦手なのだが、それはわが身にしみついた編集者的文章作法のせいだったのか。おそらく関係することとして、読んだものや見たものに対して感想を書くのも苦手。これも編集者の病か、と思うのは本の帯に「面白い!」と書く編集者はたぶんいないからだ。売るための方便ととられるから、代わりに推薦者に言ってもらったりする。

それだけでいいのか、表現としての文章、自分のための文章も書きたいみたいな気持ちが最近あるので、この本はとても面白かった。

冗長性と有限性について。有限性が重要であるということもまた、本書で繰り返し出てくるテーマだが、両者は微妙な緊張関係にあるだろうか。有限性、時間的な制限(締切)や空間的な制限(既定の原稿枚数)に対して、だらだらと冗長に書くという行為は拮抗するように思える。しかしおそらくこういうことだ、有限性のなかで冗長にあること。何やら人生論めいている。そういえば本書に収録されている瀬下翔太さんの文章のなかに「闇の自己啓発会の江永泉さん」がちらっと登場していた。千葉雅也さん――書籍『闇の自己啓発』に推薦文を寄せて頂いた――があとがきでこう書いている。「これは自助グループのような試みであり、一人ではうまく掴めなかったことも、「あるある」トークを通じて少しずつ客観視できるようになってきた。」ここで橋本輝幸さんによる『闇の自己啓発』評を思い出す。「自助=セルフ・ヘルプは自己啓発の訳語のひとつでもあるし、この会といわゆる自助グループの運営には明らかに似通った点がある」(https://www.hayakawabooks.com/n/n34f005e67580)。

いつの間にか、かこつけて宣伝、みたいになってしまった。編集者的文章作法から逃れるのは難しい。冗長性と有限性、そして人生についてだ。人生はさしあたり有限だが、自死を別にして正確な「締切」(?)を知ることができない。人生が一回きりである以上冗長も簡潔もなくて、終わったところできっかりちょうどの長さ。そういう人生を誰もが生きながら、原稿の「締切」が設定されること。そこに向かって書くということ。締切の切なさ。「自分自身が、自分のデッドラインになるのだ」(千葉雅也『デッドライン』159頁)。

そういえば昨日、『完璧すぎる結婚』というミステリーを読み終えたが、ずいぶん冗長だった。ということも、こういうなかでようやく書ける。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?