映画「クレイジー・リッチ!(Crazy Rich Asians)」を観て

テレビドラマや映画にはけっこう疎い。

理由はいくつかあるのだけど、その一つが「欧米の作品、とくにハリウッド映画に出てくるアジア人やアジア文化の描写」があまりにも陳腐で、10代のうちにウンザリしてしまったというもの。(ここでは便宜上、主に東アジア系、黄色人種と呼ばれる人たちを「アジア人」として呼んでいます)。

アジア人はいつも滑稽だったり珍奇な仕草で笑いを取る役。

アジア人男性はお勉強やカンフーはできるけどリーダーシップはなくてセックスもいかにも下手くそそう。アジア人女性は自分に自信がなくて白人男性に恋する、要は救われるのが定番、そうでなければ(欧米人が考える)ゲイシャなどの性的なサムシング。

そんなステレオタイプに、日頃からクソ喰らえという感情しかなかった。(これについては、そのうち別の投稿で書きたい。)

最近、Crazy Rich Asians(邦題は「クレイジー・リッチ!」)が話題になっていた。なんでもハリウッド映画なのにキャストは全員アジア系なのだとか。それを知っただけで急に観てみたくなり、初日に観に行ってきた。

キャストが全員アジア人というハリウッド映画は25年前の「Joy Luck Club」以来のことだそうで、去年の「リメンバーミー」や今年2月に大ヒットした「ブラックパンサー」などに続く作品ということもあり、ハリウッドでも多様性を重視しようとする流れに乗っている。

ただなんとなく、「Crazy Rich Asians」はそんなハリウッドの意図ありきで作られた映画でもないだろうとは期待していた。

Crazy Rich Asiansは元々はKevin Kwanによる3部作の小説の一作目。貧しい母子家庭に育った中華系アメリカ人で、ニューヨーク大学(NYU)で経済学の教授を勤めるレイチェル・チューが、結婚式で仲人を勤めるために一時帰国するシンガポール出身の彼氏ニック・ヤングについて行くと、実は彼氏はシンガポールで最も有名な大富豪一族の出身だったことを知り、超リッチなアジアのエリートたちと混じって大変な思いをしつつも、2人の愛は...みたいなお話。ストーリーは、ラブコメとしては至って普通だったかな。そこにアメリカンな価値観とアジア的な価値観の衝突と、親世代と子世代の衝突も織り込まれており、アメリカのアジア人にはかなり共感できそうな内容だった。

ラブコメというジャンルは詳しくないけど、ジャンルの中でも優良な作品なのではないか。

でも、Crazy Rich Asiansは自分にとってただのラブコメではなかった。観ていて、とても不思議な気持ちになった。

Crazy Rich Asiansに出てくるキャラクターはみんなそれぞれ美しかった。男も女も、若い者も老いた者も。一人一人が堂々としていて知性に溢れ、そしてかっこよかった。

アジア人男性が「エリート」としてオシャレをし、時には引き締まった上半身を披露するなんてことは滅多になかったのでは。

女性も上品で、自分の力で自分の人生を切り拓いていけそうな人たちだった。旦那の言いなりであったり、男性に消費されるだけの性的なオブジェクトに甘んじたキャラクターはいなかった。(個人的にはGemma Chanが演じるAstridが1番グッと来た。この人、もっと観たい。)

日本でしか生活したことがなく、日頃から国内の映画やドラマを観ている人からすると、これが如何に革新的なことなのか、ピンと来ないかもしれない。

でも間違いなく、「Crazy Rich Asians」は今までのアジア人の描写を真っ向から否定し、アメリカに住むアジア人の多くが意識していようがいまいが渇望していた、自分たちが観たい自分たちの姿そのものだった。(ただし、中華系の超富豪の家に配置されていた護衛たちはインド系であり、それ以外の出番はなかったので、インド系のアジア人は思うところがあるかもしれない)。

日本人である自分も、そんな威厳に満ちたアジア人を観ることを心のどこかで求めていたのかもしれない。自分に似た人たちが美しく賢く振舞うことを観るということは大事なのだ。「ステレオタイプに抗う」という形を取らずにアジア人であることを誇らしく思えるという感覚は尊いもので、ある意味新鮮だった。

映画の終わりに流れたコールドプレイの中国語版「イエロー」とともに話が締めくくるのを観ながら、今までにない形で自分の心が満たされたことを自覚した。

Crazy Rich Asiansのおかげで、今まで欧米の映画に対して持っていた嫌悪感が、初めて癒された気になった。

少しだけ、スッキリ。

#映画 #アジア

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