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銀行員からIT業界へ。ワークスアプリケーションズで経験したこと - リチェルカ起業エントリ #2 -

こんにちは、リチェルカの代表の梅田と申します。
前回のnoteでは独立後にSCMへたどり着くまでの話を書かせていただきました。
書いた文章を読んでいて「そもそも起業するつもりなんて一切なかったのにな〜」と昔と今で、自身の考え方が相当変化したことに気づきまして、変化のキッカケになったワークスの経験を振り返ってみたいと思います。
ですので、今回は業界の方向け、というよりは、スタートアップに興味のある方向けの内容になっています。


ワークスを選んだ理由

嫉妬心が原動力に

そもそも私は新卒でみずほ銀行に入行しました。
当時はまだそんなパワハラとか強く叫ばれてなかった時代で、2011年の東日本大震災真っ只中の就活中、みずほの最終面接で鬼の様な圧迫面接に合いまして
ボク:泣き叫びながら「死ぬ気でやります!!」
最終面接官:「それでいいんだよ(ニッコリ」
的なやり取りの後、受けてる会社にその場で全部お断りをするという超絶オワハラによって半ば強制的?にキャリアが決まるという面白い体験をさせていただきました。
(面接後、会社を出た時に頑張って覚悟を決めたこともあって、結局素晴らしい新卒経験を積ませていただくことが出来ました)

そんな自分がみずほという会社の外を意識したのが、2年目の夏、大学の同級生だった友達と仕事の話をしている時のこと。
ワークス、サイバーエージェント、リクルート。バリバリのメガベンチャーで働く友人たちの仕事話は、当時、定期預金の通帳をお客様先に預かりに行って、帰ってきたらハンコの場所が違うとかでもう一回お客様先に行く様な生活をしていた自分には充分すぎるほどに刺激的でした。

「へ〜すごいな〜」という憧れや尊敬の気持ちと、「マジかよ、え、俺負けてる・・?え?」という嫉妬心が強烈に自分を焦らせます。
そこから転職を意識しだし、色々なことも重なって転職を決意するのでした。

内定式。同期たちと。真ん中が私。社会を舐めてる顔してる

超大手か、腕を組む系の会社か。判断の基準

とりあえずリクルートキャリアに登録して、色々と案件をもらうわけなんですけど、Salesforce?なにそれ・・とか日本M&Aセンター?M&Aとか絶対出来ないよ、とか色々悩むわけですよね。10年前の自分めちゃ可愛いですね。
判断が付かなくなって、とりあえず良くある外資・コンサルへの憧れもあってムービンストラテジックキャリアというエージェントにお邪魔しました。
コンサルタントの中村さんのお力添えもあり、日本GE (現GEジャパン) という超絶優良企業とワークスアプリケーションズから内定をいただくことが出来、これが人生1つ目の大きな岐路になりました。

片方は当時世界最大のコングロマリットで、提示年収も破格の950万円。
もう一方は当時の記憶だと3人くらいの男性が腕を組んでいる、ERPという良くわからない仕事をしているベンチャー企業。年収550万円。
腕を組んでいて、ERPという謎ワードで、成長!!!というとにかく成長押しのワークス、当時の自分には怪しく見えていたのですが、高校からの大親友がワークス社員ということで、彼に徹底してヒアリングしたことや、ムービンの中村さんの出身もワークスだったということもあり、成長するならこの会社しかない、という想いに変わっていきました。
一方で当時の自分が一番惹かれていたのは、年収ではなくGEのマークの付いた名刺を持てること。俗っぽいですよね。笑
でも、凄く大きなことだったように覚えています。
年収か、ブランドか。大手企業か、ベンチャーか。
色々な人に相談した結果「生涯年収を求めるならば、20代は成長に当てるべき」という考えに至り、ワークスの門を叩くことを決めたのでした。

イメージです

苦労し続けた半年間

カルチャーギャップ

配属されたのはリセールチームという、当時シェアNo.1を謳っていたワークスの人事システムを契約いただいている会社様に、人事の周辺領域や会計やSCMを提案するというミッションを持つチームでした。
「新規開拓じゃなくて、ルート営業なのか、期待されてないのかな」と浅はかな勘違いをした私は、その後手痛い目に合うことになります。
まずは、カルチャーギャップ。初日に感じたことは、

・2年目くらいの新人が、当時VP (部長クラス) だった野村さん (現RightTouch代表) のことを「のむさーん」とか呼んでる。
 →野村VP!じゃないのかよ!失礼だろ!

・先輩が、チームメンバーの入社年次を知らない。
 →メールのToの順番どうしてるの?!役職と年次順でしょ?!

・これこうやってもいいですか?に対して「お前が考えろよ」で会話終わり
 →え・・許可取らないで何か起きたらマズイじゃん・・

と、全く仕事の考え方が異なるわけですね。
メンター的先輩が二人いたんですけど、ふたりとも何を聞いても「何で?」しか言ってこない。頑張って返しても「どうして?」。
一生懸命考えたつもりでも、数年先に入った先輩と比べたら思考が浅すぎて、何も通用しないわけです。
GEの件もあって割と自信満々で入ってきたものの、早々にプライドは砕かれ、半年間はアークヒルズの1F、みずほATMの横にあった公衆電話コーナーでしょっちゅう悔し泣きしてました。笑

大企業出身者から見たらカドの立ってるWorks Way

なんでそんなんになっていたのかと言うと、そこには(今となっては素晴らしく、当時の自分にとっては地獄の) ワークスのカルチャーがありました。

・「なぜなぜ思考」
 →根っこは?ってみんな言い合ってた。銀行の言われたことをやれ!と正反対

・「他責NG」
 →割と人のミスまで自分ごとで捉えることを求められます

・「ブレイクスルー」
 →極端な話、実績のある人事を3億円売った人より、実績の少ないSCMを1億円売った人の方が評価される文化

・「悲観的ポジティブ」
 →上記と違って確か評価基準ではなかったけど、悲観的×ポジティブシンキングが大事、という話。ポジティブシンキングと楽観的は全然違うよ、物事のリスクはしっかり織り込んだ上で、それをどう前向きに捉えて向き合うかだよ、という考え方。最近牧野さんが出ていたYouTubeが分かりやすいです。(45:30~)

他にも「理想から考える」とか「コンティンジェンシープラン」とか「スピルバーグ思考」とか沢山あったのですが長くなりすぎるので割愛します。
これらが今の力に直結しているのですが、転職直後にこんな違いすぎる価値観に即Fit出来るわけもなく、、上記の様な苦しい時間を過ごしていたわけです。
転職同期も沢山いたのですが、大半はこの思考の転換、プライドを捨てる、ということが出来ずにワークスを辞めていきました。

転換点

最初のチームをクビに。変なチームに放り込まれる

みずほ時代は18時帰りの自分が、終電後まで必死に働き、それを見ていた先輩が段々と優しくなって助けてくれるようになり、何とか半年後には3,000万円くらいの受注を1件いただくことが出来ました。お相手はまさかのみずほのグループ銀行。契約書を受け取った時のことは今でも忘れません。
これからもっと頑張るぞ〜〜と燃えていたものの、その後すぐの組織編成でまさかのチーム異動に。
マネージャーが怖すぎたせいでまともに話しかけることも出来ず、コミュニケーションが取れてなかった状態だったので当然ですね。笑

目の前に座っていた、同じくポンコツ新人の中津留さん(今はどこにいるのかな)と一緒に飛ばされたチームのマネージャーは、ワークスで伝説の売上を作った後にIBMへ転職したのに何故かすぐに帰ってきたらしい。私が入社した時は、マネージャーなのに部下がいなくて、野村さんの前にじっと座ってる。たまーにいきなりグサッとするようなアドバイスをくれて、勝手に傷つけていく、能力は高いんだけど、ちょっと気むずかしい人、みたいな感じ。それが、スタートアップ界隈ではもうめちゃくちゃ有名になった、現ナレッジワーク専門役員の桐原さんでした。

チーム運営を振り返る

多分最初のチーム飲み

前のチームの上司にビビり散らかして萎縮していた私と中津留、不思議キャラで多分みんな扱いに困っていた先輩、角田さん (現マイクロソフト) 、そしてめちゃくちゃ売れるんだけど、当時はチームを持っていなかった桐原さんの4人で始まったチーム。今思い返せば、全員ポンコツだったように思います。

当時の桐原チームは、こんなことをしてました。

・毎週月曜のクソ忙しい朝に、1時間とか2時間とか使って、趣味について発表するプレゼンをし合う
 →ERPのプレゼンをするにはあまりにもスキル不足な僕らだったので、資料作成や発話の引き付け方など、好きなことを通じて学ばせていただきました。また、自己開示の場として相互理解が深まりチーム力は相当高まりました。

・お互いをいじりあう
 →今の桐原さんはどうか分からないんですけど、当時はめっっちゃ怖かったんですよ。周りも気を使う感じ。きっと本人もそれを気にして、人をいじり、敢えてスキを作って人にいじらせる。そうやって、年次や経験、性格の大きな壁を取っ払っていたように思います。

・メシを食う
 →ランチは一緒の弁当、夜は良く飲みに行く
 これは当たり前な方だと思うんですけど、衣食住の食は結構一緒に過ごしていた気がします。今ってリモートもあって難しいですけど、昼飯なんか大抵いつも同じもの食べてたので「きりさんシジミの味噌汁大好きだからな〜」みたいな感じで僕らサイドからマネージャーへの心理的負荷がだいぶ低減されてたなと。

普通に働いていたら、周りと同じ成長しかしないわけで、つまりポンコツはずっとポンコツなわけです。
だから桐原さんはこういう方針を取ったんじゃないかなーと思います。
仕事が出来るけど厳し目の上司と、あんまり仕事の出来ない部下、という構図においては参考になるアプローチかもしれません。

桐原流自己開示

次回はワークスにおけるSCMセールスと気付きについて書きたいと思います。

続く

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