自分という宝の価値を知りたい。

こんにちは!

私は人材系の会社で営業マンとして普段は仕事をしている傍ら、聖書を学ぶ神学生として牧師を目指しています!(⌒∇⌒)

宗教関連は話は色々センシティブな感じにもなっちゃんかもなんで特に話しませんが、聖書ってとても面白いんですね。こんな面白くて論理的で自己成長をもたらす本になんで出会ってなかったのか。。。。

そんな話もしていったら長くなるので、ここでは話しませんが、ご興味のある方にはお伝えもしていきたいのでコメントやTwitterなどでコンタクト取って頂けたら嬉しいです!

このnoteでは人生の悩みや、社会への疑問、社会に貢献したいことなどを聖書を通して話したり、自分の活動記録として残したりしていければと思っています。どこかにいる同じ悩みを持った誰かに届くことを祈ります。


今回は「自分ってめちゃくちゃ貴重だということ」

この事実を皆さん説明できますか???


自分を好きな人ってあんまり多くないと思うんですよね。外見でも、勉強でも、仕事でも、何か目に見えたり分かりやすいものさしで自分をはかろうとするとどうしても自分より上っているじゃないですか。

自分を上の存在を比べてしまうから、自分のことがどんどん好きじゃなくなっていっちゃいますよね。。。


では恋人を見つけたらいいのでは!?

確かに恋人を見つけて、家族を作ったら自分を確実に必要としてくれる人が現れますね。だけど、恋人も人ですから変わってしまうものでもあるし、離婚率などを考えたら本質的ではないような感じもします。。。


仕事で成り上がったらいいのでは?

これもしっくりときませんでした。総理大臣も一生自分のものにはできないし、世にある肩書は全てそうです。一生自分のものにできないものにすがっていても幸せにはなれないような気がするんです。


自分が貴重かどうかを他人との比較で考えるのは苦しい。

私自身、高校が進学校で自分よりも頭も良くてスポーツもできて、かっこよくてなんて人がたくさんいました。周りを見すぎるようになって、自分にしかない価値を探すようになりました。


聖書を最近読みながら、自分の価値を知るヒントになるんじゃないかと思ったところがあったのでご紹介します!

「愛によって互いに仕えなさい」

パウロという有名な人が書いた本の中にこんな言葉があります。社畜になりなさいという意味ではないかと思います。(笑)

例えば、お爺ちゃんとかおばあちゃんってめっちゃ自分たちを良くしてくれんませんでしたか?

これでもかってくらい尽くしてくれたという記憶が残っている方も多いのではないかなと思います。だから私もおばあちゃんが大好きでした。

そのように私たちも誰かを愛して仕えるんだと教えてくれています。誰かに何かをしてあげようと思う心、行動が自分という存在が本当に価値深い存在であることを自分自身に実感させるんじゃないかなと感じるんです。


自分が貴重だということ、自分が自分を宝物だと思うこと。

これは簡単なことではないと思います。だからこそ、明日近くの人に心から何かをしてあげて下さい。その結果皆さん自身が実感する自分というかけがえのない宝に気づくことができると願っています。

おしまい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?