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活躍する社会人必須の「先取り学習」〜自分の幅を広げよう〜

・習っていない漢字を使ってはいけません
・教えていない公式や計算方法を使ってはいけません

Twitter等でも時折、先取り学習を禁止されることが話題になる。
もう20年は前のことになるが、自分は幼稚園児の頃から公文式に通っていたため、バリバリ先取り学習をしていた。
運がよいことに自分は先取り学習を禁止する先生に出会うことは無かった。校風な自由な私立に通っていたとかそういうことは無い。小学校・中学校はごく普通の公立の学校に通っていた。

今思えば「先取り学習を禁止されなかったから、今の自分がある」といっても過言ではない気がする。

先取り学習から学ぶ社会人で大切なこと

このnoteには僕の輝かしい幼少期について書いてあるが、勿論自分の幼少期の凄さをみんなに知ってほしい訳ではない。むしろこの人、幼少期の頃の実績でしかイキれないかっこ悪い人間だ、思われないかヒヤヒヤしている。

ここで述べたいのはこの3点である。

1.社会人は理解が大雑把でも良いから先取り学習したもの勝ち
2.先取り学習した内容の第一人者になる(少なくとも社内で)
3.デキるヤツという印象(錯覚資産)はめちゃめちゃ大事

1については社会人を数年経験している人には説明するまでも無いことだと思う。社会人も日々勉強。色々なことを仕事に活かしていくことが大切ではあるが、学者ではないので全てを完璧に理解する必要性に駆られることは少ない。
忙しい社会人は、深く勉強したい気持ちを抑えつつ、必要な知識の必要な部分を見極め、効率よく勉強する必要がある。

1を積み重ねる、つまり日々効率よく勉強ことにより、自ずとチャンスは増えていく。この点についてはあの人に聞こう、となることがあったら、今度はその点について深い知識を得る必要がある。

そして2で大きなチャンスをものにすることで、デキるやつであるという錯覚資産を得ることができる。錯覚資産という名前ではあるが、これは更に自分のチャンスを増やす重要な資産だ。とりあえずアイツに聞いておこう。そう思われればますます大きなチャンスが自分に巡ってくる可能性が高まる。

先取り学習は社会に出てから、これだけ必要なことである。
確かに先取り学習にはデメリットもあることは分かっているが、一概に禁止しないで欲しいと思っている。

先取り学習を禁止しないで欲しい個人的理由

僕が先取り学習を禁止しないで欲しい理由の一つが、教育を受けている期間(短期的)ではなく人生(長期的)として考えると、デメリットが極めて薄いからである。

例えば国語、間違っていない以上習っていない漢字を書くことを禁止する理由はよく分からない。

クラスの他の子が読めない?テストやプリント、ドリルはクラスの他の子に向けたお手紙ではない。
他の子との格差になってしまう?なぜ出来る側を出来ない子に寄せるアプローチを試みるのだ。向上心があっていいじゃないか。
漢字の成り立ちが分からないとダメ?じゃ小学校1年生で習う「四」や「生」の成り立ちを説明できる大人はどれくらいいるのか。そんなことされたら、こんごすべてのぶんしょうを、ひらがなでかかなければならなくなる。

そもそもそこまで厳格に個人の能力の成長を管理する必要は無いと思う。

唯一先取り学習が禁止されない科目「体育」

しかし体育の授業だけは先取り学習を禁止しないどころか、むしろ先取り学習がウェルカムな科目だったと思う。(もしかしたら自分の通っていた学校だけかもしれないが)

例えば走り高跳び
授業で教わった飛び方は「はさみ跳び」だけであった。

はさみ跳び

しかしどこで習ったのか、見様見真似でやったのかは知らないが運動神経が良い男子を中心に背面跳びやベリーロールといった跳び方に挑戦している人もいた。勿論それではさみ跳びよりも良い成績を出せば褒められる。

同様に器械体操もバク転(後方倒立回転跳び)や、バク宙(後方宙返り)なんて習っていないが、最後の発表会でそれを成功した人は、称賛と高い点数を得ることが出来ていた。

数学の公式も、習っていない国語の漢字もこれと何が違うのかは分からない。
むしろ、バク転やバク宙の方が間違えれば怪我をする可能性がある。計算ミスをしたり、間違った漢字を書いても怪我はしないのに。

先取り学習が禁止されなかった理由

ここまで先取り学習禁止に対して批判的な意見を述べているが、かくいう自分は実は先取り学習を禁止された覚えは無い。

自分が小中学生の時代は所謂「ゆとり教育」の真っ只中。そんな中で何故僕は先取り学習を禁止されなかったのか。

(ここから幼少期の輝かしい実績を書くが、決して本当に幼少期の頃でマウントを取ったり、イキったりしようとしている意図は無いので本当に勘違いしないで欲しい。)

もちろん先取り学習に理解のある先生に当たる、という運の良さも一つの要素ではあるが、他に思い当たる理由は「学校で習う勉強が完璧だった」ということも考えられる。

よく先取り学習のデメリットの一つとして、先取り学習ばかりに重きを置きすぎることで、一つ一つの理解が疎かになるという点が挙げられる。
確かにこれは先取り学習の大きなデメリットになりうるが、自分の場合これが該当しなかった。

先取り学習はするものの、学校のテストは大体100点、順位がつくものは大体1位、文句なしの成績を取っていた。
先取り学習をしすぎて、結局大事な部分が疎かになってしまうのであれば、先生も文句を言うだろうが、先生が文句を言う隙さえ与えない結果を出していた

そしてもう一つ、小学校入学当初からコイツは別格だ、という評判が立っていたというのも大きいだろう。
小学校入学前から、小学生で習う漢字を大体書け、小学校高学年の算数が解け、おまけに英語も喋れる。噂にならない訳がない。

社会人になってから活きた"先取り学習癖"

学生の頃から先取り学習癖がついていたので、僕はそれだけで恩恵を受けることができたと言えることもいくつかある。

今まで経験したことの無い、今すぐに必要のない知識でもちょこっとだけインプットすることで、いざその知識が必要となった時、初めて経験するとは思えないレベルの対応が出来た。(1.社会人は理解が大雑把でも良いから先取り学習したもの勝ち)

そして偶々社内でも事例の少ない対応で、いい実績を残すことが出来たので、その分野に関する相談を受ける回数が多くなった。(2.先取り学習した内容の第一人者になる)

自分が先取り学習した知識が、比較的有用なものでありかつ、社内でもその知識を持っている人が自分しかいない状態になったので、大きなプロジェクト等にアサインされる回数も多くなってきた。(3.デキるヤツという印象(錯覚資産)はめちゃめちゃ大事)

これだけである程度の社内からの信頼と、希少性の高い人間であるという評価を勝ち取ることが出来たと思っている。

やったことはただ一つ、「先取り学習」

何を先取り学習すればよいのか分からないとき

僕は机に向かって勉強することが好きな部類に入る、とても珍しい人間だ。確かに社会人になってからの先取り学習は、先取り学習したことを使わなかったら効果はほぼないので、何を学習するのかの見極めは大事だ。

しかし僕は、そんなこと一々考えず、少しでも興味をもったこと・気になったこと、つまり自分から知りたいと思ったことを学べば良いと思う。

高専時代の古典の先生が一番最初の授業でこう言っていた。

「技術者を目指すみなさんが、なぜ古典を学ぶのか。その理由は、無い。」

多分社会に出てから直接役に立つものでは決して無い。だから学ぶ理由はない。強いて言えば偉い人が決めたルールだから学ばなければならないだけである。

ただ、知っているともしかしたら知ってて良かったと思うかも知れない、知識があったからこそ面白いと感じられるものと将来的に出会うかも知れない。
そして何より僕が好きなので、みんなに教えたい。

古典の授業の内容は一切覚えていないが、この考え方は今でも覚えている。


「知る」ことによって幅が広がる

知りたいと思ったことがきっかけで構わない。役に立たなくてもいい。自分の幅を広げるために、自分の興味があることを知ろう。

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