パンチラ

パンチラをみかけることと水着をみること。

露出している部分は大して変わらない。

どうしてパンチラはこうも自分の胸を踊らせるのだろうか。

このことについて長い間考えている。長年考え、たどり着いた休憩ポイントはアンコントロールなのかもしれない。

自分の美しいと思うことを見せつけることとだらしないものを見せる、まるで日常生活を垣間見る瞬間、つまり他者のアンコントロール化に陥った瞬間自分のコントロール下として取り込むことができるのではないかという期待が自分を興奮させる気がする。

要は支配欲が自分の胸を踊らせるのはないか。

建築デザインにこのことを換言させるとどうなるのだろうか。

アンコントロール化にある建築とはなにか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?