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愛知のキリシタン その1

 濃尾崩のうびくずれという言葉があるのを知った。江戸時代前期に、尾張国と美濃国で隠れキリシタンが検挙された事件を指す。尾張から美濃にかけては多くのキリシタン関係の遺跡がある。隠れキリシタンの遺物とされるものが、岐阜県可児市、愛知県犬山市、一宮市、名古屋市などで見つかっている。<字数:3,105文字>

キリシタンに寛容であった尾張藩

 織田信長はキリシタンに好意的であり、孫の織田秀信(本能寺の変で亡くなった織田信忠の嫡男)もキリシタン大名として知られている。尾張藩を治めた松平忠吉によりキリシタンの庇護を受ける。家康も当初は切支丹を黙認していたが、慶長17(1612)年に禁教を出し、キリシタン大名と呼ばれる武将はいなくなった。元和年間から弾圧が始まり、それでも一般の信徒はまだまだたくさんいた。そして一般信徒に対する取り締まりも次第に厳しくなっていった。

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