伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高し(『菜根譚』より)
妻から「菜根譚って知ってる?」と質問された。聴いたことはあるが、中国かどこかの言葉だったかなぁくらいにしか思い出せずにいた。妻のLINEに次のようなメッセージが届いていた。
「伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高し。これは『菜根譚』の中の言葉です。長い間うずくまって、力を蓄えていた鳥は、いったん飛び立てば、
必ず天高く舞い上がる、という意味です。」
『菜根譚』は、前集222条、後集135条からなる中国明代末期のものであり、主として前集は人の交わりを説き、後集では自然と閑居の楽しみを説いた書物だ。中国の明代末期に洪自誠(洪応明、還初道人)による随筆集で中国古典の一つであり、中国の処世訓の最高傑作だと言われる。評価が高まったのは初版から300年後。江戸後期の日本に伝わって愛読された。
タイトルは、「人、常に菜根を咬み得ば、則ち百事做すべし」という汪信民のことばに基づく。「人、常に菜根を咬み得ば、則ち百事做すべし」(野菜の根は硬くて筋が多いが、これをかみしめてこそ、真の人生の意味を味わうことができる)という汪信民のことばに基づく。「菜根譚講話」は、中国・明代の洪自誠が書いた「菜根譚」を明治の禅僧の釈宗演が日本人のメンタリティに合わせて分かりやすく訳したものである。
「菜根譚」を読むと、儒教・仏教・道教を学んだ洪自誠が人生の苦難を身を持って体験し、人生の真理とその機微を思索したことが察せられる。洪自誠は本書の中で「天がわが肉体を苦しめるように仕向けるならば、私はその労苦を労苦と思わない心になって見せよう。天がわが境遇を行き詰らせるように仕向けるならば、私は自分の道を高く保って切り抜けるようにする」と述べている。「菜根譚」が「逆境の書」とも言われる所以であろう。
「日々の生活の中で、いかに心を保つか」は思想書や宗教書の基本テーマのひとつであるが、この「菜根譚」は、洪自誠が刻苦勉励の清貧生活の中で己を磨き、並々ならぬ修養によって会得した「いかなる困難な状況の中にあっても、真実を見極め、肯定的に心を整えることの重要性」を説いている。。日本語訳を書いた守屋洋氏によれば、『菜根譚』はすぐれた『人生の書』として、むかしから、多くの実業人や政治家に愛読されてきたそうだ。
正確な原文と書き下し文は以下の通り。
事業の成功に燃える人にとっては、菜根譚は心を震わせる言葉や実践的な助言を与えてくれる。努力をしても人事を尽つくしても、上手く行かない、報われないというのはよくある事である。しかし、思えば、何の悩みも苦労も体験していなければ、幸福であることを感じる度合いも少ない。
今回、この記事を書く発端になった「伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高し」という言葉は、ピンチの時こそチャンス、逆境に直面した時こそ、意識改革を考え、知力、体力を養う好機であると捉えるべきだろうか。焦らず騒がずじっくりと力を蓄えながら、「伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高し」と、自分を信じ、静かに追い風が来る時を待ちたい。
『菜根譚』には、たくさんの名文が載っている。これからも少しずつ研究して、noteの記事にするのもありかもしれない。