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「なごや平和の日」フォーラムに参加して思う! 戦争のない平和な世界を!

 2024年5月14日、「なごや平和の日」が制定された。
 太平洋戦争中、1942年から1945年の3年あまりの間に、アメリカ軍は軍用機生産の一大拠点だった名古屋に、63回にわたる空襲でおよそ8,000人が命を落とした。名古屋空襲の犠牲者を追悼しようと、大規模な空襲で名古屋城が焼け落ちた5月14日を「なごや平和の日」にと制定した。太平洋戦争中の名古屋空襲の犠牲者を悼み、平和について考えてもらおうと、名古屋市が制定した「なごや平和の日」の式典が2024年5月14日に行われた。この「なごや平和の日」の制定に向けて取り組んできた名古屋市の東邦高校の生徒4人が「空襲体験者の高齢化で貴重な証言が失われつつある中、未来の世代に戦争の教訓を伝えるのが私たちの使命です。若者が力を合わせて行動し平和を築いていきましょう」などと平和宣言を読み上げた。<字数:3,392文字>

 実は、東邦高校の生徒たちは2014年から「名古屋空襲慰霊の日」の制定を市に訴えてきた。学校の前身である東邦商業学校の生徒らは1944年12月、学徒動員先の工場で罹災し、約20人が犠牲になった。これまで名古屋市として犠牲者を悼み、後世に記憶を継承する日は定められていなかった。

 東邦高校の生徒たちは、同世代にも「なごや平和の日」の意義を知ってほしいと校内で発表を行うことにした。
 「誰もがなごや平和の日について知れて、平和について考えることができる環境を作るためには、まずは東邦の生徒から知ってもらいたいというのがあって、全校で5月14日に制定されたのをきっかけに話そうってなりました」と代表の生徒:髙橋愛奈さんが語っている。

 校内の発表で高橋さんは「戦争体験者が減っている今、戦争の話を生で聞いて、後世に伝えていけるのは私たちです。だから少しずつ、ちょっとずつでいいので、戦争や平和について知る機会を、なごや平和の日を通して、増やしていけたらなと思います」と語った。


 平和の日は全国18都県市町にあるが、若者の提案は珍しい。この問題をめぐる市の有識者協議会の会長で市内の東海高校副校長西形久司さん(65)は式典後、「こんな平和の日は、海外でも珍しい。この特徴を生かし、若者の平和の提案コンクールや海外戦災都市の視察派遣など独自の取り組みを実現させたいですね」と語った。

 7月28日、「なごや平和フォーラム」が開かれ、約70人が参加した。ドイツ文学翻訳家で「もしも世界が100人の村だったら」著者の池田香代子さんの講演が素晴らしかった。当日ご自分の着ている洋服がイッセイ・ミヤケ氏の広島の折り鶴のデザインであることを告げ、オバマ大統領のプラハ演説に感銘を受けたイッセイ・ミヤケ氏が広島出身の被爆者であることをカミングアウトしたのだ。
 「オバマ米大統領がプラハで行った演説のなかで、核兵器のない世界を目指すと約束されたことは、私が心の奥深くに埋もれさせていたもの、今日に至るまで自ら語ろうとはしてこなかったものを、突き動かしました。 大統領の演説は、私も「閃光」を経験した一人として発言すべきであるということ、自身の道義的な責任ということを、かつてなく重く受け止めるきっかけとなりました。」とミヤケ氏は語っている。

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