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勇壮で美しい天守が現存する城郭

 日本の城にはかつては多くの天守があった。初めて城に天守を造ったのは誰か、城好き、歴史好きの人ならご存知だと思う。琵琶湖東岸の近江国蒲生郡安土山は京と尾張を結ぶ要衝に位置する。織田信長は、この安土山に日本史上初めて天守を持つ城郭「安土城」を建造した。安土城である。安土城の天守は、「天主」とも表記し、なんともこれが織田信長らしいと感じてしまう。安土城の天守の高さは約32メートル、姫路城の天守とほぼ同じとのことで、標高約199メートルの安土山山頂に位置するため、その姿はよりいっそう雄大だったと想像される。

 江戸時代初期には実に約3,000もの城が存在したという。しかし、1615(慶長20)年の「一国一城令」、そして1873(明治6)年の「廃城令」により、数多くの城が廃城となり破却されてしまう。
 1929(昭和4)年、「国宝保存法」に基づき、名古屋城、広島城の天守や水戸城の櫓など文化財に指定されたものは全て「国宝」だった。昭和に入る頃には天守を持つ城は20城あった。これらのうち1945(昭和20)年、第二次世界大戦でのアメリカ軍による空襲によって水戸城・大垣城・名古屋城・和歌山城・岡山城・福山城・広島城の7城の天守が焼失又は倒壊し、1949(昭和24)年に失火によって松前城天守が焼失した。
 
 1950年(昭和25)年、「文化財保護法」の公布により、「重要文化財」という規定が誕生。「旧国宝」は全て「重要文化財」に指定され、その中から、特に優れた価値を持ち、文化史的意義の深い重要文化財を改めて「国宝」に指定したのだ。弘前城(青森県)、松本城(長野県)、丸岡城(福井県)、犬山城(愛知県)、彦根城(滋賀県)、姫路城(兵庫県)、松江城(島根県)、備中松山城(岡山県)、丸亀城(香川県)、松山城(愛媛県)、宇和島城(愛媛県)、高知城(高知県)の12城を総称して「現存12天守」と呼ぶ。国内における現存12天守のうち、姫路城(兵庫県)、彦根城(滋賀県)、犬山城(愛知県)、松本城(長野県)、松江城(島根県)を含めた5つの現存天守が「国宝5城」に指定されている。

 中でも白鷺城という別名のある姫路城は、その外観の美的完成度と軍事的役割の両方が高く評価され、天守が現存する城郭の最高峰として、1993(平成5)年には、日本初の世界文化遺産に登録された。築城以来、戦災の被害を受けることのなかった姫路城は、建築物のほとんどが創建当初のまま維持されていることから、近世城郭の建築技術を知る貴重な城とされている。

 国宝5城の中で、漆黒の外観が美しい松本城は、現存天守の城郭の中では唯一の平城である。国宝に指定された天守は、戦国時代と江戸時代の2つの時代を融合させた「連結複合式」の天守群で、他に類を見ない。現存12天守のうち、5層天守を持つ城郭は、姫路城と松本城だけだ。また、現存天守最古として有力な城は、文化庁の「国指定文化財等データベース」によれば、松本城と犬山城が挙げられているが、建造時期には諸説も多く、確定的な年代は特定できないとされている。

 さて、名古屋市民である私としては、名古屋城が太平洋戦争の空襲で焼け落ちてしまったことが残念でならない。
 名古屋城は明治になると陸軍の所管となり、取り壊しの危機を迎える。しかし、全国屈指の名城として永久保存されることが決まると、宮内省所管の名古屋離宮となり、天皇や皇后、皇族の宿泊などに利用された。1893(明治26)年のことである。1930(昭和5)年、名古屋離宮は名古屋市へと下賜されて、再び名古屋城と呼ばれるようになった。同時に、城郭として初めての国宝に指定されたのだ。トップの画像は在りし日の名古屋城天守の雄姿だ。

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