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「今さら」「今なら」「今から」

 「今」と「ら」の間に“ひらがな”を1文字入れて、意味が通じる言葉を作ってみよう。そう、「さ」「な」「か」の3つだ。

 仕事や学習など日々の生活の中で、あるいは人間関係の中で、困ったことや様々な課題にぶちあたることがある。「なかなか集中ができなくて仕事や学習が進まない」「自分のめざしたい道や方向性がなかなか決まらない」というようなことが生じたとき、どうすべきかを上記の3つの「今〇ら」で考えてみよう。

 「今さら」という言葉には、「もう遅い」「間に合わない」というあきらめのニュアンスがある。
 「今なら」という言葉には、「まだ間に合う」「大丈夫」というポジティブな方向性を感じることができる。
 「今から」という言葉には、「これから頑張ろう」「これからやってみよう」という意欲的な姿勢が感じられる。

 「今さら」という何の発展性もない言葉を捨てて、「今なら」とか「今から」という気持ちになるには、どうすればよいのだろうか。それには3つのキーワードがある。それは「勇気 courage」と「覚悟 resolution」そして「決断 decision」である。「今までのようではいけない」「これではいけない」と思ったら、「これから変えたい!」と思ったら、「勇気」をもち、「覚悟」を決めて、そして「決断」することが大切だ。そして、その「勇気」「覚悟」「決断」は「行動」へとつながっていく。

 私たちのの心にはどの「今」があるのだろうか。ちなみに、「今」という漢字の下に「心」と書くと、「念」という字になる。「念じる」とは「物事が成就することを強く願う」という意味である。さらに「一念」と書くと、「ひたすら心に深く思いこむこと」、「いつまでも心にとどめる思い」という意味になる。何をするにも遅すぎることはない、「今さら」と思うのをやめて、「今なら」まだ間に合う、「今から」やればいいのだという姿勢が大切だ。世界にも日本にも様々な問題がひしめいている。気候変動による地球温暖化問題…「今なら」まだ間に合うかもしれない、でも、この機を逃せば手遅れになりかねない、といった響きを帯びる。地球があげている悲鳴に全世界の人々が気づけば「今から」でも決して遅くはないはずだ。
 一つだけ言えることがあるとすれば、地球にも、社会にも、すべての生物の命にも、私たち人間の人生にも「今さら」は完全なるNGだということだ。

 私は50代後半に差し掛かっている。人生の折り返し地点はとうに過ぎた。この歳になると、「今さら」と考える人と、「今なら」「今から」と考える人の2通りに分かれてしまうのかもしれない。
 私自身は50歳で大学院修士課程を修了した。ある学会に所属し、自分が研究した内容を発表したり、講演の講師を依頼されたり、講演を受講したり、このnoteを今年の5月に知って、沖縄の終戦記念日である6月13日から連続投稿をはじめ、あと数日で100日連続投稿を達成することになる。休日も時間があれば、noteに書くネタを考えたり、どこかへ講演を聴きに行ったり、史跡散策をしたりしている、ある意味「変わり者」なんだろうと自認している。私は人間はすべて何らかの発達凸凹があると思っているので、私自身も発達障がいだと自覚している。「今なら」「今から」という意識があるからだろうか、「今なら」健康で身体も動くし、「今から」新しいことに気付けることに幸せを感じている。「人間五十年」と敦盛を舞った織田信長よりは長生きできた。私の人生がいつ終わるかわからない。人生の半分が過ぎたことは間違いなかろうが、あと20年ぐらいは今の健康状態でいられるような気もしている。「もう半分以上が終わった」と考えるより、「まだまだ20年ぐらいはいろんなことにチャレンジできそうだ」と考えるほうが、これからが楽しくなる。「いつやるの? 今でしょ!」と林修先生の言葉を借りたくなる。

 私はいま「人に学ぶことの楽しさを伝える仕事」をしている。それには、私自身が楽しく学んでいないといけないし、相手に楽しみながら学んでいただくための力が必要となる。私に求められる能力は、「自分が楽しく学び、相手も楽しく学び、相手を褒めて育てていく力」だと自認している。noteと出会えたおかげで、たくさんのnoteユーザーからパワーをいただいている。
みなさま、あらためて感謝申し上げます。

私の記事を読んでくださり、心から感謝申し上げます。とても励みになります。いただいたサポートは私の創作活動の一助として大切に使わせていただくつもりです。 これからも応援よろしくお願いいたします。