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天声人語ってどういう意味?

 朝日新聞朝刊1面のコラム「天声人語」は、朝日新聞が1879年に大阪で産声を上げた25年後に登場した。名称変更や中断もあったが、戦後は途切れることなく、世相を切り取ってきた。人々の喜びや悲しみに寄り添い、時には政権を厳しく批判するなど、どの時代にあっても「いま」と向き合い、世間に様々なメッセージを送り続けてきた名物コラムだ。

 天声人語が初めて登場したのは明治37年1月5日、日露戦争が始まる直前だ。「天声人語」の名付け親は西村天囚という大阪朝日の記者で、種子島出身の人だ。最初は西村天囚が務めていた大阪朝日にのみ掲載された。
 その後、「天声人語」は一時的に使用されなくなる。第一次世界大戦のときは「鉄骨稜々」、第一次大戦が終わると「天声人語」に戻るも、東京朝日と大阪朝日が朝日新聞に統一されると、「有題無題」という名前に変更され、日本が真珠湾攻撃をしてアメリカに宣戦布告をすると「神風賦」といういかにもという名称に変更される。そして、アメリカに無条件降伏して終戦を迎えた翌月の昭和20年9月に「天声人語」が復活する。

 現在、天声人語の執筆は2名の論説委員で担当しているという。天声人語の603文字分という限られたスペースに、何をどのように刻むかが論説委員の腕の見せ所だ。二人が大事にしているのは「できるだけ新鮮なニュースで他の記事とは一味違うこと」で、内容は前日か当日に決めるという。もしも突発的なニュースが飛び込んできた際は差し替えることもあるそうだ。そしてテーマが決まったら起承転結を考える。とは言っても、天声人語は▼で区切られた6つの段落から成る。最初の段落は、読者をぐっと引き込むつかみで、2段落から5段落までは、その日のテーマの説明やそれにまつわる議論の紹介が中心となる。そして6段落はコラムの結論になるのだが、読む人に読後感を感じさせるべく、どうやってコラムらしい余韻を残しながら締めるのかがポイントだという。私も文章を書くのは好きだが、603マスに毎日おさめるのは至難の業だ。

 さて、話を天声人語の名付け親である西村天囚に戻すが、西村は大阪朝日の記者をしながら、江戸時代の大阪で多くの町人学者を輩出しながらも、明治維新で閉鎖された学問所「懐徳堂」の復興に尽力した人でもある。懐徳堂の「懐徳」は、論語の「君子は徳をおもう」という言葉からきている。西村天囚は自身が新聞記者という企業人であり、ビジネスマンにこそ道徳と礼節を身につける必要があると考え、人間教育の場として懐徳堂を再建したのだろう。

 なお、西村天囚が命名した天声人語の意味は、「天に声あり、人をして語らしむ」という中国の古典に由来し、「民の声、庶民の声こそ天の声」という意味だとのことだ。

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