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【掌編小説】平成最後の日

 平成が終わる日だった。僕は妻と大喧嘩をした。娘二人は妻の見方。手をあげてしまいそうになった為、怒鳴り声とともに自宅を飛び出した。
 生憎、雨宿りをしたくなるような天気だった。仕方なく雨宿りをすると陽が射し、歩き出すとまた雨が降った。
 そんな天気だったので僕は昭和レトロのアーケード街に逃げ込んだ。
 とぼとぼとアーケード街を歩く僕。平成が始まるころに見たアーケード街の活気はもうなかった。まるで結婚したてのころの妻を思いやる気持ちが消えてしまった今日の僕のようだった。
 スポーツドリンクが飲みたくて坂を少し下ったところの自動販売機で立ち止まった。ポケットを探ったが、財布はなかった。家を出る時に財布すら持たずに出てきてしまったのだ。胸にいらつきが込みあげてきた。
「平成も終わりだね」
 誰かが話しかけてきた。横を見ると、齢(よわい)は六十前後の女性が立っていた。声は明るかった。近隣の方であろう。気さくに話しかけてきたのは、女性が平成最後の日を素晴らしい日にしたい、という思いからだろう。
でも、その態度があまりにも明るいので、平成が終わる、という思いを僕の心の中にしみじみと植え付け、その日に夫婦喧嘩をしたことに対して情けなさを覚えた。
「平成と一緒に終わりたい私の暴飲暴食」
 女性はあっけらかん、と言った。僕は何を言っているのだろう? と思ったが、相手の気持ちを推し量り、
「そうですよね。今日で平成は終わりですものね。嫌なことは全て終わりにしたいですよね」
 と、言った。
 作り笑いをしてその場を立ち去ろうとする僕。そんな僕の反応に女性も気づいたのだろう。
「よかったら寄って行かない。お茶くらいは出すから」
 女性は僕を店内に誘(さそ)った。女性はこの店の店主だったのだ。

ベニフクの看板です


 ベニフクという茶褐色の看板は平成というよりもむしろ昭和を感じさせた。昭和、平成と続いた老舗の匂いがした。
 天井は想像していたより高く、正面のショーケースには手作りパンが並んでいた。

お店で販売されている手作りパンです


 お茶を出してくれたテーブルの脇の棚にはまゆの会と中央に書かれた木箱が置かれていた。
 話の具合では川柳の会だそうだ。そして、お財布を忘れたことに気付いていたかのようにコーヒーとお菓子を出してくれ、遠慮しないで、と添えた。
 僕は女性を粋な人だな、と思った。
 女性は和紙に書き込まれた川柳を見ながらアーケード街の歴史を色々と話してくれた。
 妻に対する怒りは知らぬ間に消えていった。
 最後に女性は言った。
「若いっていいわね」
 僕は髪をかきながら言った。
「若くないですよ。もうじき四十歳です」
「じゃ、なおさらこの街を支えていく世代だから何かをしなくちゃ。よろしくね」
 女性は僕がわが子に対して持つ期待のような感情を僕達次の世代に抱いているようだった。
 女性に対して何かお礼をしたいと思った。しかし、お金は持ち合わせていない。そこで、川柳を投書することにした。
 平成と一緒に終わりにしたい夫婦喧嘩
 僕はこの川柳を胸に刻み、帰宅することに決めた。
「これ、お子さんに持って行って。お代は要らないから」
 女性は僕に手作りロールケーキを渡すと店に消えていった。
 僕は謝罪の手土産ができた、と喜んだ。そして、妻にこんな素敵な店がアーケード街にあることを伝えよう、と思った。まるで、愛を誓ったあの日のように。


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