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人生という名の壺に、最初に何を入れるのか?

YouTubeでひろゆきさんの話していた壺の話にすごく共感できたので、今回の記事で共有しようと思う。話の大筋は以下の通りだ。

ある大学の先生が学生の前に、大きな壺を出す。その中に最初に岩を入れて、その次に小石を壺の上部にまで入れる。ここで先生は学生に「この壺は満杯だと思いますか」と尋ねる。学生は「満杯だと思います」と答える。その後、先生は砂を入れる。岩と小石の間には隙間があるため、実際に砂は入る。壺の上部にまで達すると、先生は再度尋ねる。「この壺は満杯ですか」と。学生は「満杯だと思います」と答える。先生はその後、水を入れる。水が壺の上部まで入ると、再び満杯かどうかを学生に尋ねる。

この話の教訓は何だろうか。これは多くの人々の人生と照らし合わせると分かりやすい。人は人生という名の壺に様々なものを詰め込んでいく。

社会に出れば、比較的忙しい生活を強いられる。お金を得るために仕事をするため、学生の頃のようなプライベートの時間は少ない。仕事に多くの時間を費やすために、睡眠時間や、やりたいことをする時間を削る者もいる。自分の望むもの、あるいはそうでなくとも世間の人々が望んでいるものを得るために、多くのものを犠牲にする。

人生という名の壺には色々なものを詰め込むことができる。頑張れば、それなりに沢山のものを詰め込める。しかし、この話の教訓はそういうことではない。それは、壺の中に最初に入れた大きな岩は、後からではもう二度と入れることはできはないということだ。小石や砂、水を入れた後に、岩を入れることは絶対にできない。

その「岩」とは、自分が本当に大切にしたいものだ。それは人によって様々で、かつて子供の頃に大切にしていたもののこともあれば、現在、自分が人生の豊かさと言い切れるものかもしれない。

僕は現在22歳だが、この20代の生き方が、まさに最初に壺に何を入れるのかという選択そのものだと考えている。この10年間をどのような事に費やしたのかということが、30代以降の未来を決めるのではないかと感じている。

ここに、社会の常識や価値観を反映させる生き方を選択する者もいるわけだが、それは上記の例でいうところの、石や砂や水を最初に壺に入れることのように思う。もちろん、そのような生き方を否定するわけではない。何を選択するかは、個人の趣味嗜好や育った環境が深く関係しているからだ。

僕の場合は、20代の時間をいわゆる「仕事」に費やし、社会的地位や経済的な対価を得るという選択肢もあった。それが、熱中できるものであれば良いのだが、どれも心躍るようなものではなかった。それでも20代は「仕事」に精を出し、30代以降に夢中になれることに時間を費やすという選択肢もある。しかし、10年後、ある程度の肩書きや責任が与えられた僕は、そこからきっぱりと身をひき、自分の大切な時間を取り戻せるのかというと、どうしてもできる気がしない。仕事で得られる報酬や人間関係の存在、ましてや家族などがいれば、なおさら決心できないだろう。

壺に入る大きな岩は、最初にしか入れられない。現実的には、後からでも入れられる可能性はゼロではないと思うが、現在ほど自由に考え、行動に踏み切ることはできないだろう。20代前半に、この決断に至ったことを正解にするべく、日々を大切にして生きていきたい。

『壺の話』の細かい内容は以下のサイトに記載されています。参考までに。https://diamond.jp/articles/-/262052

2022年5月19日

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