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人類の過ち:単純性と複雑性

この世界の構造は単純か、複雑か、果たしてどちらなのだろうか。一見両者が混在して見える。しかし、原理は単純性に回帰するように思う。複雑なものから単純なものへと変化するのではなく、単純なものが複雑化するのではないかと直感的に考えている。

現代社会は、非常に複雑なように見える。どこか根本が誤っていて、歯車が嚙み合っていない印象を受ける。しばしば画期的なものが生まれて、それが社会を変革に導くように思えるが、実際は何も変わらない。人々が根本的な矛盾に気付き、自覚し、思考と行動を改めない限りは、あらゆる問題は解決することがないように感じる。

なぜ、人は単純なものを複雑にしたのか。何かを恐れたのだろう。複雑にすることで、不安を拭いたかった。物事の原理や本質的な構造が単純であることを信じることができなかった。信じるだけの感性と能力をどこかの段階で失ってしまったのだろう。

考えても答えが出ない問いではある。また、答えが出たところで「社会」を変えられるわけではない。そもそも「社会」について勝手に論じることは、地球環境で生きる一つの生命体として酷く傲慢なことである。

人類はどこで過ったのだろうか。自然という名の単純性をいつ忘れ去ったのだろうか。見過ごしてきた人間の矛盾が、現代には物理的な事象として表面化している。これ以上隠すことのできないその矛盾は、我々に牙を向けながら目の前に立ちはだかっている。

本質を捉えよう。自分の気持ちに素直になろう。自分に必要なものを知ろう。原理を理解しよう。

新しい時代に向けて。

2022年11月13日

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