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ザ ブック オブ マッチズ 13/16

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 俺は身も心も満ち足りて、一週間も眠っていなかったかのように深く眠った。彼女には申し訳なかったくらい一瞬で眠りに落ち、次の瞬間に、新しい身体に生まれ変わったような朝を迎えた。
 実際申し訳なかったのでアリソンのために朝メシをつくった。

 トビーに電話をして、今日ともしかしたら明日も牧場に帰れないことを伝えた。彼は犬の世話もあるし、できることをやっておきますと言ってくれた。助かる。勝手にビール飲んでいいぞ。
 つぎに、ロジャーにもらった連絡先の番号に電話をした。誰も出なかったがムリもない。まだ朝の八時前なのだ。

 俺は直接オフィスに出向いてみることにした。ここからクロウ族の居留地までなら南東へ一時間もあれば行ける。
 俺が出かける支度をしていると、視線を感じた。
 アリソンが所在なく立っていた。
「いまからイーサンのところへ行ってみる」
「わたし、今日は休みなんだけど」
 俺自身も足を踏み入れたことのないインディアン居留地に、知り合ったばかりのアリソンを連れて行っていいものなのか、逡巡した。

「大丈夫。あなたの考えてることはわかる。でも、わたしは多少の道案内はできるし、いきなり女房面したりしないから」
「ヒマつぶしにはちょっとハードなことになる想定もしなくてはならない」
「あなたにとってはね。わたしは好奇心を抑えられないただの野次馬だから、嫌ならそう言って」
 べつに嫌ではなかった。むしろ、気分的には助かることのほうが多いように思えた。迷っている時間はない。
「では行こう」
 俺たちはダッジ・ラムに乗り込んだ。

 インディアン居留地と言っても、収容所の類ではないので、塀に囲まれているわけでも、鉄条網が張り巡らされているわけでもない。彼らの土地に入ったことを告げるのは、道路脇に立つ看板だけだ。
 しかし、二二〇万エイカーの広さがあるので、結局、境界を越えてからさらに小一時間走らなくてはならなかった。乾いた土にところどころ生えた低木と、空ばかりがやたらでかいモンタナのよくある風景が車窓に流れた。ぽつりぽつりと見える住居らしき建物は比較的小さく、そこに佇む錆びた古いピックアップトラックがものさびしさを漂わせていた。
「つぎを右に曲がって」
 助手席のアリソンが膝の上に広げた地図を見ながら指示を出した。
 もう二度ほど道を曲がると、住宅街や学校、レンガ造りの役所などひとの暮らしが感じられる一画に入った。

 ここに来てはじめて歩いているひとを見た。若い男のふたり連れだったが、大きすぎるTシャツとジーンズに黒い野球帽を前後ろ逆さにかぶって歩く姿はまるで都会の黒人で、インディアンのようには見えなかった。しかし、肌の色や顔立ちはやはりこの土地の人間のようだ。

「このあたりよ」
 アリソンがあたりを見回して言った。低い金網に囲われた、芝生の前庭の奥に、白い石造りの二階建て建築物があり、その足元に"OIL 7"と看板が立てられていた。これまでに眺めてきた古びた木造家屋やレンガの建物に比べて立派に見え、連邦政府機関の事務所のように感じられた。
 しかし、そこにある白いヴァンにも社名が黒文字で刷られているから、これに間違いない。

 俺はピックアップトラックを敷地内に入れて停めた。アリソンを見た。
「わたしも行くわよ」
 俺は黙って頷いた。
 フロントポーチの階段を三段上がって、曇りガラスが上部にだけはめられたドアをノックした。ドアに鍵はかかっていなかったので、中に入ることにした。
 真っすぐ廊下が伸びて、左手にオフィスへの扉、右側には扉の閉まった部屋がふたつ並んでいる。会議室と倉庫かなにかだろう。俺は左手のドアを再びノックした。
 ドアノブを回してみようとしたら突然ドアが開いて、俺は手を離していなかったら内側へのめり込んでいたはずだ。

「なにか」
 昨夜のロジャーと同年代だろうが、髪の毛は真っ黒で、瞳も奥が見えないくらい真っ黒な男が、顔に険しいシワを寄せて立っていた。髪はうしろに撫でつけられ、濡れたように輝き、首にかかるくらいの長さがあった。
 白いボタンダウンシャツの上にウールを編んだ黒いヴェストを着ていて、胸元にドリームキャッチャーのチャームが揺れていた。ドリームキャッチャーというのは、丸い輪に蜘蛛の巣を模した網を張って、その下に羽根飾りが何本かぶら下げられたものだ。悪夢を捕まえてくれるというインディアンのお守りである。

「突然すみません。ブレット・マクナマスといいます。こちらはアリソン……」
「アリソン・バーンズです」
 彼女のラストネームを知らなかった俺に、アリソンが助け舟を出した。
「ビリングスのはずれでガスステーションを営むロジャーからこちらの場所を聞いて、イーサン・ホワイトストーン氏に会いに来ました」
「わしだ」
 イーサンの表情からはなにも感情は読めなかった。俺は単刀直入に本題を述べた。

「父親を捜しています。もう十五年も行方知れずになっていますが、もしかしたらこのオイルセブンにかかわりがあったのではないかという手がかりを得て、あなたのところへ来ました」
 俺は胸ポケットから父親と母親が写った写真を取り出して、彼に渡した。
「こっちの男性のほうです。名前はブランドン・マクナマス」
 インディアンの男は、まだ表情を変えることなく写真に見入った。そして、ゆっくりとしたまばたきくらいの間、目を閉じた。
 俺にはなにかを思い出そうとしているように見えた。

「それは、わしが知っている名前ではないが、この男のことは知っている」
 アリソンが隣で小さく息を飲むのがわかった。
「よかったです……」
 俺はなんとかそれだけを絞り出した。
「ボイド。ボイド・マーティンとわしらは呼んでいた」
 過去形だった。

「彼はここにはいないのでしょうか。生きているのでしょうか」
 イーサンは手を広げて俺を制した。
「わかった。彼のところに連れて行こう。しかし、今日は予定があってそれができない。明日、この時間にまた来てくれないか」
 俺よりも四インチは背が低いであろう彼は、俺の顔を見上げて、半ば睨みつけるように見つめてきた。「約束する」
「わかりました」

 インディアンのことはほとんど知らないが、リスペクトを大切にすると聞いたことがある。それは俺たちカウボーイも同じだ。「ではまた明日来ます」
 それだけ言っておとなしく去るのが、俺なりのリスペクトの払い方であった。

 俺たちはオイルセブンの事務所を辞して、アリソンのアパートに帰ることにした。
 途中、ビリングスの町のカフェレストランで昼食を食べた。窓際のテーブルにつくと、俺はパストラミのサンドウィッチとコーヒーを、アリソンはプルドポークのバーガーとオレンジジュースを選んだ。
「明日、お父さんに会えるといいわね」
 アリソンが紙ナプキンで口元を拭いて言った。
「どうだろうな。さっきの会話でわかったことがいくつかある」
「あの短いやりとりでなにがわかるというの」
「まず、イーサンが父親を知っているというのは本当だと思う」
「なぜ」
「父親はボイド・マーティンと名乗っていたと言っていた。イニシャルがBMなんだ。うちの牧場とおなじ名前で、マクナマス家の男は代々Bではじめる名前をつけられてきた。俺がブレット、父親がブランドンであったように。だから、偽名を名乗るにあたっても、そこだけは譲れなかったのだと想像するよ」
「なるほど。お父さんは牧場のことが忘れられなかったのかもしれない」

 俺はコーヒーをブラックのままひと口飲んだ。
「変なプライドだけ捨てられなかったのかもな。家族はあっさり棄てておいて」
「確かに、あのイーサンという人が平然と嘘をつくようには見えなかった」
それには俺も同意して彼女に頷いた。「ほかにわかったことは」
「うん、明日は俺ひとりで行く。きみは来ないほうがいい、ということだ」
「どうして。明日は仕事があるけど、夕方までは空いてるのよ」
「最悪を想定すると……」
 俺はもう冷めているコーヒーがまだ熱いかのように、すこし時間をおいてから啜った。
「イーサンもしくはその仲間たちが父親をすでに殺害して、居留地のどこかに埋めている可能性がないわけではない。もちろん動機なんかは知らないが、男たちの間でなにかトラブルが起きたら、そういうことはありえる」
「うん、だからわたしも同行したほうが……」
「逆だ」
 俺はアリソンの言葉を途中で遮った。

「もし明日、俺たち両方が殺されて埋められでもしたら、誰も証人はいないし、誰も俺たちの行き先を知らない。そうだろう。だから、きみだけでも残ってほしい」
 アリソンは、眉を下げて、頭の中で俺の言葉を咀嚼している表情を見せた。俺は言葉を継いだ。「きみがそんなリスクを負う必要はない。俺だって、父親のためにそこまでするつもりはなかったが、はじめちまったものは仕方がない。もし明日の晩になっても俺が戻らないようだったら、警察に相談するなり適切な対処をたのむ」
「わかったわ」

 アリソンはパースの中からペンを取り出して、紙ナプキンに自分の家とコブウェブの電話番号を書いて渡してきた。「必ず連絡して」
「大丈夫だ。必ずする」
 俺はマッチとかナプキンとか、そんなものばかり持たされる。
 アリソンが俺に顔を近づけてきて声を落とした。
「万が一の際に、なにか武器になるものは持ってるの」
「俺たちは、真っ昼間のこんな明るいカフェでえらく物騒な相談をしているな」
 俺が笑うと、アリソンも額に手をやって自分たちに呆れたように笑った。
「まったく信じられないわ」
「小さなポケットナイフがひとつと、トラックの後部にライフルがある。しかし、掴み合いになったらライフルは役に立たないから、きみの九ミリでも借りて行こうか」
「拳銃なんかないわよ」
「え、昨夜、枕元にって……」
「あんなの、はじめから嘘よ」
 今度は俺が両手を頭にやって笑った。

 俺たちはアパートに戻ると、ベッドでまた交わった。
 おかしなことになってしまったが、父親のために俺が命を懸けるなどごめんだった。
 それよりも、いまはただ、アリソンのぬくもりを全身で感じていたかった。

(つづく)

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