ザ ブック オブ マッチズ 5/16
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昼食時に友人のアーロンに電話をして、クーガーを引き取ってもらう手筈を整えた。今夜にでも取りに来てくれるそうだ。彼は野生動物を剥製にしたり、皮を鞣して毛皮の絨毯にしたりする商売をしている。
二頭の遺骸を乗せたまま、ピックアップトラックをショップに乗り入れた。屋外に置いておくよりは、こちらのほうがひんやりと涼しい。
死んだ仔牛のみを床に下ろした。母牛と同じ黄色の一一六の耳タグを外して、脇へよけた。
「トビー、キッチンスペースからナイフ二本とシャーペナーを持って来てくれ」
これからなにをはじめるのか、怪訝な表情を見せながらトビーが指示に従った。
俺は仔牛の右肩から刃を入れて、脇腹へ滑らせた。手で握れるくらいの皮を剥がし、引っぱりながら肉と皮の間に何度もナイフを入れてズルズルと剥がしていく。
脂と体液でナイフが鈍らになると、トビーに渡してシャーペナーで砥がせ、もう一本のナイフを使う。
尻の方まで皮を剥いで、尻尾よりも下の肛門の部分も含めて、胴体の右半分を終えた。
「おなじように左側もやるが、トビー、手伝うか」
そういえば、春から彼がここに通うようになってから、動物の死体に間近で触れるのは、はじめてだったはずだ。トビーは右手に持ったナイフをギュッと握りしめて、それを見た。
「はい、やってみます」
左半分はふたりがかりだったので作業は早かった。こちら側は、クーガーにかなり食われていたため、右側のほうのようにきれいなかたちには皮が残っていない。
「すこしくらい皮に穴があいても構わない。どんどんやってくれ」
「これはなんのためなのですか」
俺はとびきりのスマイルだけを見せて、あえて答えなかった。
最後に、俺は尻尾の関節に刃物を当てて、そこを体から切り離した。すると、仔牛の両肩、背中、尻尾付きの尻の毛皮がベロリと取れた。躰の上半分だけ皮を剥がれ、まるで前世紀のインディアンに襲われた哀れな開拓者のように、仔牛は背中の肉を赤々と晒した無残な姿になった。
「この毛皮は、耳タグといっしょにして新聞紙でくるんで冷蔵庫に入れておく。あとは、肉のほうをやっつけるぞ」
トビーはナイフをシャッシャッとシャーペナーに擦りつけながら、汗で光った顔で大きく息をついた。
残りの作業は、仔牛を屋外に運び出してから行なった。四本の足首を切り離し、脚と腹の皮を引っぺがし、首を落とす。内臓を取り出す。
骨から肉を削ぎ落して、地面に敷いた新聞紙の上に、新鮮な仔牛のビーフを並べていく。
檻に戻されているダスティとターボが、においを察知して喚いている。
「ご褒美はあとでやるから、慌てるんじゃない」
俺は二匹に向かって叫んだ。
だいたい部位ごとに分けられた肉と、肉片がついた骨となった仔牛は、もう原形をとどめていない。
「こうなると、ようやくおいしそうに見えるだろ」
トビーを見ると、ゴクリと唾でも飲み込みそうな目つきで、切りたての牛肉を見つめていた。
「残念ながら、これらは犬のエサになる。獣が半分食った牛だからな」
「そうでしたね……」
トビーの落胆の表情に、微かな申し訳なさを感じた。俺たちは肉と骨の一部はラップして冷凍庫に入れ、大きな肋骨と背骨のあたりは、芝生の上に置いて、犬たちを檻から放した。
ダスティとターボは、唸り声を漏らしながら、まったくレアのリブの肉を堪能した。
俺たちは缶ビールを開けて、ご褒美にありついて狂喜する犬たちを眺めた。
「トビー、牧場では、こうして、死んだ牛でも無駄死にはさせないんだ。見ろ。上等なドッグフードになるだろう」
トビーは何度も頷くと、美味そうにビールを喉に流し込んだ。俺はゆっくりとキャメルを喫った。
仔牛の頭部と四つの足首の残骸は、穴を掘って埋めた。
牧場の財産、というか今年の新製品である仔牛が殺害されて残念な一日のはずなのに、トビーに新しい経験をさせたことが、俺にとってもなんだかうれしく感じられた。
その晩は、クーガーを引き取りにきたアーロンとその息子を交えて、四人で庭に出て肉を焼いた。俺には子供はいないが、家族がいたらこんなふうに賑やかになるのかと一瞬だけ考えた。
調子に乗って、ビールを六本飲んでしまった。
アーロンの息子は十三才だったが、俺もあれくらいのとき、父親と母親とあんなふうに過ごしたことがあったような気がする。みんなどこへ行ってしまったのだろう。
ふり仰ぐと、空ばかりが大きくて、星ばかりがたくさんで、自分がどこにいるのかわからなくなりそうだった。
翌朝、トビーがやって来ると、俺はまず言った。
「さて、今日はまず馬に乗るぞ」
「やった!」
トビーは、ここで働く前、牧場の仕事といえば毎日馬に乗れると期待していたようだ。実際は必要なときしか乗らないし、馬のほかにもピックアップトラックやトラクターやペイローダー(ショベルカー)、穀物運搬用の大型トラックなど、扱うべき乗り物は多い。
コラルの裏手の敷地に馬がいるので、そこまで歩く間、芝生の上に残された昨日の仔牛の骨を見た。肉はきれいになくなって、磨かれたみたいに真っ白になり、さぞ犬たちは満足したことだろう。
馬の首にホルターを掛け、厩舎まで歩かせる。俺はチーフと名づけた馬に乗り、トビーには比較的おとなしくて扱いやすいグラントという名の馬をあてがっている。
二頭の背中に毛布をかけてからサドルを乗せる。ベルトで固定する際、締め具合がきつすぎず緩すぎず適切か、トビーの分もチェックした。馬の頭に轡と手綱をセットし、自分のブーツに拍車を取り付ければ準備完了。俺は念のためロープもサドルに括りつけて用意した。
二十二番区画を目指して、馬を並んで歩かせる。
「トビー、昨日の母牛を探し出せ。黄色い耳タグに一一六と書いてあるやつだ」
「わかりました。では僕は左へ回ります」
二手に分かれて、半マイル四方の牧草地を見て回る。馬の背中からの視界は高く、黒い群れがどことどこにいるかよく見える。朝から牛たちを驚かせるのも悪いので、俺はチーフをゆっくり歩かせ、区画の東側を北へ進んだ。
張り切ってグラントを小走りさせていったトビーが、こちらへ向かって手を挙げているのがわかる。
俺も「了解」と手で合図して、そちらへ向かった。
牛の母子はいつもペアでいるが、一頭離れた場所で草を食べていた。
間違いない。こいつだ。
チーフと牛の距離をつめると、面倒くさそうに首を回して牛がこちらを見た。さらに近寄ると、やつはノソノソと歩きはじめた。チーフが左、グラントが右にポジションをとって、母牛を南へ、そしてゲイトのある東のほうへと歩かせた。右へ逸れればトビーが前進して、牛を左へ戻す。
牛は尻尾を振り振り歩きながら、緑がかった糞便を垂れた。自分で肥料を撒いて、それにより伸びた草を自分で食べているんだから世話ない連中である。
ゲイトは来たときに開け放しておいたので、俺たちが二頭がかりでコーナーに追いつめるように働きかければ、牛は出ていく。そのまままっすぐ行けば牧場だ。
俺はチーフの腹に拍車を当てて、先を走らせた。コラルのゲイトを開けて、牛をその中へ誘導する。
馬を厩舎に戻して、馬具を外して、二頭はひとまずこの中に繋いでおく。
「トビー、昨日のタネ明かしをしようじゃないか」
「それは、仔牛の皮を剥いだことですか」
「そうだ。あれを取りにショップの冷蔵庫へ行こう」
俺たちは毛皮と耳タグの包みを持って、コラルへ入った。コラルの中は門を開いたり閉じたりすることにより、部屋を仕切られるようになっている。シュートという鉄製のパイプでできた通路もあり、これは牛を入れて一定方向に歩かせられる設備である。シュートの出口は左右から牛の胴体を挟み込んで動きを封じられるようになっている。
牛をシュート内で進ませて、出口まで来たらレバーを引くと、首の分だけ開いたギロチン状の門が閉じ、胴体は両サイドの鉄柵が狭まって牛はどこへも動けなくなる仕組みだ。
たとえば他所から買ってきた成牛に耳タグをつけるときに使うし、暴れられたらかなわない牛に注射をしなくてはならないときなどにも使う装置である。
俺が母牛を誘導して、シュート内に固定した。
そして、コラルの門を開けて、奥から育児放棄のため母無し子となっている仔牛を連れてきた。今朝はこいつにミルクをやっていないから腹を空かせているはずだ。
そいつを、身動きのとれない子無しの母牛に近づけると、鉄柵の間から必死に顔を入れて、懸命に舌を伸ばし、おっぱいを探し当てた。
「トビー、出番だ」
俺はトビーが持つ包みを受け取ると、そこから毛皮を取り出した。仔牛が夢中で乳を飲んでいる間にやっちまいたい。
「俺がなにをしようとしているか、わかったかい、トビー」
「子を喪った母牛に、この子の育ての親をさせようというんですね!」
トビーは目を見開いて答えた。
「その通り」
俺は死んだ子の毛皮のお尻のあたりを、乳を飲みつづける仔牛の頭や耳まわりになすりつけた。店で売っているような、きれいにされた毛皮ではない。ケツのまわりにはクソもこびりついているし、血も残っているだろう。
トビーが怪訝な表情で見つめている。
「だけど、それが必要なんだ」
トビーに見えやすいよう両手で毛皮を広げ、説明しながら作業をした。
「死んだ子のにおいを、この子に移そうとしているんだ。母牛はにおいによって子供を見分ける。そして、体臭は尻と耳のうしろに強い。そのへんは人間もおなじだ」
昨日、毛皮を切り取ったときに、尻尾とともに肛門の周辺を残してあった。元々は肛門があった皮の穴に、乳を飲む仔牛の尻尾を通した。
「こうすればズレにくいだろ」
そして、毛皮を頭のほうに引っぱりながら、まるで背中にカーディガンでもかけてやるように、かぶせた。
ナイフで毛皮に前二点と後ろ二点の穴を開け、それらにヒモを通して、仔牛の脇の下と下腹で結わえた。
「これでいいだろう。乳を飲み終えたら、母牛と仔牛をこのコラルに放しておく。母親が気に入ってか、あきらめてかわからないが、この子を育てようという意志を見せたら成功だ」
トビーが帽子を取って、半ばあきれたように首を振った。
「いや、すごいです。お見事でした」
「晴れて、新しい親子となったら、仔牛に黄色の一一六番の耳タグをつけよう」
トビーはまだ手に持っていた耳タグをプラプラさせた。
「どうなるか、数日間様子を見る。このまま長く毛皮をかぶせたままにすると、腐ってウジが湧いてしまう。しかしいま見た限りだと、きっとうまくいくように思う」
俺が笑いかけると、トビーは親指を立てた。仔牛は乳をたらふく飲んで満足したのか、ゲップをして白いよだれを垂らした。
「わかりました。それにしても、こんな技術、誰から教わったのですか」
そんなもの、ほかに誰がいようか。
「父親だよ」
寸時返答が遅れたが、俺は表情を変えずに言った。トビーにはいつだったか、彼は死んだと話したことがある。
(つづく)
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