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わたしはこんな人

こんにちは、しょうたです!

noteをごらんいただき、ありがとうございます。

この記事は、みなさんにもっと私のことを知ってもらいたいと思い書いています。

この記事の事は、これから少しずつ書きたしていきますが、そのときはツイートするので、良かったらまた遊びにきてくださいね。

わたしの転職経験

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わたしの転職経験のおおまかな流れは、

工場・事務職→サービス業→タクシー運転手

です。

工業大学卒業後に工場に就職。

当時のわたしは、将来について何も考えておらず、とにかく正社員で就職することだけを考えていました。

それから、特許事務所に転職し、補助者として働いていました。

特許事務所とは、特許の出願や管理をする事務所で、さまざまな本や法律に触れる機会がありました。

特許事務所で働いているうちに、だんだんと法律関係に興味をもち、裁判所事務官を目指すことに。

裁判所事務官とは、裁判所で裁判官をサポートする公務員です。

そして、裁判所事務官になるために、特許事務所をやめてフリーターをやりながら試験勉強をやっていた時期がかれこれ2年くらいあります。

けっきょく、2年間勉強して公務員試験を受け続けましたが、裁判所事務官試験に合格することができませんでした。

そして、この2年間のフリーター生活がその後のわたしの人生を大きく変えることになりました。

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アルバイトで、人生初めてのサービス業を経験。

この経験は、「接客」への興味を開花させることに…。

なにせわたしは、学生のころ対人恐怖症だった時期があり、アルバイトはしていましたが「接客業」は避けつづけてきました。

はじめての接客のアルバイトは、デパ地下のレジ係。そこでの、接客体験、従業員どうしの絆などが、いのわたしの原点だといっても言い過ぎではないでしょう。

ネクラだった学生時代から、フリーター時代「接客業」にめざめ、どんどん自分に自信をつけ性格も社交的にもなりました。

はじめて「彼女」ができたのもこの時期ですね。

色々なアルバイトを経験しました!

デパ地下→カフェ店員→書店店員→デパート紳士服売り場→都会に出て大手アパレル→そして正社員に

それと、ホストをアルバイトで経験したのもこの時期。

2ヶ月くらいの短い期間ですが、「接客業を極めたい」というおもいで、デパート紳士服販売員をやりながらやってました。


自分のなかでは、いわゆる黒歴。ホストは失敗でした…

でも、「人って変われる!」、「やってみなきゃ分からない」
ということが実感できました。
そう考えれば、ある意味ではそう失敗ではないかな…

洋服を売るために→お客さまに売り込む
お客さまに売り込むスキルを身につけるために→ホストを経験する。

この考えが間違いだった。自分には向かない販売スタイルだと気づけたのは、この失敗経験があったからですね。

それからは、お客さまに寄り添い、話をよく聞いてニーズを聞きだす販売スタイルに変わりました。

まぁ、ネクラな学生時代から、よくここまで変われたものだと、いまでも思いますが(笑)

8年間の遠距離恋愛

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デパート紳士服売り場で販売員をしていたころ、現在のお嫁さんと出会いました。

地方のいなかのデパートで販売員をしていたわたしと、都会に住んでいた彼女を結びつけてくれたのは、SNSのはしり「mixi」でした。

ふたりには「絵本」という共通の趣味があり、コミュニティーで知り合ったことがきっかけ。
「マイミク」として1年以上やりとりをしていたのが、出会いのきっかけです。

ちなみに、お嫁さんとわたしが好きな絵本作家は、「岩崎ちひろ」さんと「酒井駒子」さんです。
結婚してからも、なんども絵画展には足をはこんでいます。

彼女と結婚したいと考えたわたしは、お嫁さんが住む都会にでて、アパレルで正社員になると決意。彼女のお父さんは厳しい人で、結婚を許してもらうために正社員になる必要がありました。

都会の大手アパレルで契約社員として入社後、4年目で正社員になりました。

そしてついに彼女と結婚。

結婚したことがきっかけで、転職を考える

アパレルでやっとのおもいで正社員になり、結婚できましたが、現実的な問題に直面しました。

それは、いまの給料では家族を養えないということ。

正社員になって給料が年俸制になりましたが、とにかく鬼のようにサービス残業が…

会社にもよりますが、アパレルで正社員になっても上にいかないと給料は安く、場合によっては時給制の契約社員のほうがいいくらいです。

店長まで上がれば、それなりの稼ぎになるので、店長を目指して4年間がんばりましたが、なかなかうまくいかず、そのうちに転職を考えるようになりました。

アパレル時代は、とにかく死にものぐるいで働いて、上司からパワハラを受けていた時期も…。

パワハラをしていた上司は、わたしを成長させたい一心だったと後から分かりました。

パワハラを受けていることを店長に相談すると、パワハラをした上司とわたし、他の社員を集めて、ミーティングをもうけてくれました。
そして、上司はパワハラをもうしないと誓い、わたしは許すことに。

パワハラの解決策は、自分がパワハラだと感じていることを相手に伝える。さらに上の立場の人に相談するに尽きると思います。

パワハラは辛い経験ではありましたが、転職を決めた理由ではありません。

タクシー運転手への転職

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たまたま見たタクシー運転手の求人。タクシー運転手に転職すれば、当時のアパレルの年収から100万円以上あげれることを知り、転職を決意しました。

タクシー運転手への転職を決意した理由は、「年収を上げて家族を養えるようになりたいこと」のほかにもう一つあります。

アパレル時代に、夫婦で描いていた夢を実現させるためです。

夫婦で「雑貨屋をやりたい」という夢。
この夢を実現させるための資金を蓄えるてめには、年収を上げなければなりません。

タクシー運転手であれば、年収を上げれるうえ、ふつうのサラリーマンと比べて自由度が高く、将来独立するにはぴったりの職業だと考えたわけです。

タクシーで経験したこと

わたしはいまのタクシー会社で、タクシー運転手を2年間経験したのち、タクシー会社の運行管理補助者を約1年くらい経験しています。

管理職候補になっていたこともあり、運行管理者資格も取得しました。

しかしまぁ、運行管理補助者をやる中で、仕事のストレスから夫婦の喧嘩も増えて、ストレスも積み重なることに…

このままでは、幸せにはなれないと感じていました。

そしてなによりも、自分はタクシー運転手の仕事が好きだということが再確認できたわけです。

なので、いまはタクシー運転手に戻らせていただいています。

お客さまから直接「ありがとう」といって頂ける、街を自由に走り回れるタクシー運転手の仕事がとても好きです。

コロナでタクシーの不安定さをおもい知った

タクシー運転手として、楽しく仕事はできていますが、コロナでの収入4割減を経験したことで、「これから先タクシー運転手の給料だけに頼っていてはいけない」と気づいた。

コロナを期に、「収入の分散化」が注目されるようになりましたが、わたしも収入が下がったことでこのことの必要性を感じるようになりました。

そして、タクシーとは別に収入の柱をつくるために、ブログを書き始めることに。

わたしが運営しているブログ「最後の天職~タクシードライバー~」について

わたしは、これまでのタクシーでの経験を生かして、タクシーに特化したブログを運営しています。

タクシーに転職する前に悩んだ自分自身の経験を生かして、タクシーへの転職にかんすることや、タクシー運転手のスキルアップがメインテーマです。

タクシーに転職した人が、タクシー運転手の仕事を楽しく続けられるように、情報を発信しています。

最後の天職~タクシードライバー~

このブログは、「転職しても仕事が続かない人」が想定読者です。

「たまたま転職したタクシードライバーの仕事が、実は自分にとっての天職だった。」

こう思ったのはわたし自身なのですが、わたしのブログを読んでくれた人にも同じ体験をしてほしいと願い、このブログ「最後の天職」を運営しています。

このブログは、書き始めて1年ですが、少しずつ読者も増えて、2021年3月は月間1800PVになりました。

今後も記事を更新していく予定です。よかったら見にきてくださいね。

この先の夢について

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「夫婦で雑貨屋をやりたい」
この夢は夫婦ふたりの夢ですが、どちらかというとお嫁さんにやらせてあげたいが近いです。

わたしの夢は、雑貨屋ともう一つあります。

もう一つの夢については、まだ公開はしていませんが、わたしのこれまでの生い立ちや、アパレル時代にパワハラを受けた経験が関係しています。

「わたしと同じ経験をして苦しんでいる人の役にたちたい」と、ここではお伝えしておきましょうか。

いまはこの夢を実現するために、タクシー運転手をやりながらブログを書き続けます!

わたしの夢が具体的に何かについては、ブログで実績をもっとあげられてからということで。

今回のnoteはここまで。
また更新したら、ツイートするので良かったらまた遊びにきてくださいね。

最後までご閲覧いただき,ありがとうございます。


しょうた




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