「使えない学生ばかり」と嘆く前に、企業は「こんな人材を高く買います」と伝えているか 学校教育と「スキル習得」の問題(Wezzy2020.12.26掲載)

みなさんは学校に行くことにはどのような価値があるとお考えでしょうか? コネを作る、自分の実力・学力を示す、学ぶことそのものが楽しい、社会で活躍するためなど、学校に行くことには様々な価値が見いだせるはずです。そのうちの一つである「スキル」の習得についてお話したいと思います(「スキル」とはなにかは、あとで説明します)。

学校教育に対して否定的な人からは「大学にいっても学生は何も学んでいない≒スキルを身に付けられていない」という批判が頻繁に出てきます。大企業の社長や会長が、そのように嘆きながら「使える『人材』の育成を」と大学に求める記事を読んだことがある人は少なくないと思います。これはまさに「学校教育=スキル習得の場」という考え方があるからこそ出てくるものでしょう。

日経新聞に掲載された萩生田光一文部科学大臣インタビュー記事では、高専卒は即戦力なので(≒スキルを持っている)、給与水準を大卒と同じところまで引き上げて欲しいと要望がされていました。また経団連による初等中等教育改革の第二次提言でも、グローバル教育やICTなど、スキルを生徒に身に付けさせることが主眼に置かれていました。政府も財界も、児童・生徒・学生は学校教育を通じてスキルを身に付けているのか? という視点を意識しているのは間違いありません。

学校教育でスキルが身についていないという懸念は、日本だけでなく、国際的にも過去10年ほどで急速に教育政策にみられるものです。

実際に学校教育の意義が「スキル」のためだけにあるのかはさておき、結論から言えば、生徒・学生は学校・大学で様々なスキルを習得しており、その金銭的価値は決して小さなものではありません。そして、「大学に行っても学生は何も学んでいない」と嘆く企業人が、どの程度のスキルを求めているかはわかりませんが、必要なスキルを持つ人材を獲得するために必要な取り組みを十分にしているとは言えないのです。 

大事なことは学校に行くことよりも、スキルを習得すること

最初に、「スキル」とは何かについて簡単に説明したいと思います。

「スキル」は様々な機関による分類があるのですが、一番大きく分けると次の4つにまとめられるかと思います。

一つは、基礎的な認知スキルで、読み書きやそろばんのような、「それが無いと他のことが何も学べない」というスキルです。次が高度な認知スキルです、現代だと外国語や微分積分・線形代数といったあたりが該当しそうです。職業スキルは、職場で直接求められるスキルで、職業高校や専門学校で学ぶもの、ないしは資格に代表されるようなスキルです。非認知スキルは協調性や忍耐力など様々な物が含まれ、職場でチームとして顧客と働いていくために求められるようなものです。

この「スキル」が学校教育で習得できていないという懸念が国際的に加速したのは最近のことで、契機になったのは、世界銀行から2007年に出されたこのワーキングペーパーと、それに関連する一連の論文です。

それらによると、単純に国民の平均教育年数は経済成長の間の関係を見ると綺麗な相関が出てきます。つまり、高校を卒業する、大学・大学院へと進学する国民が増えることで平均教育年数(学歴)が上昇し、経済が成長するということです。

しかし、国際学力調査の結果も考慮してみると、国民が何年間学校へ通ったかを示す平均教育年数と経済成長の間の相関は消え、むしろ国際学力調査の結果、すなわち国民がスキルや知識をどれだけ習得しているかこそが経済成長と相関があるという分析に変わります。

そのため、ここ2、3年で、ある国の国民の教育水準を知るためには、どれだけ知識やスキルを習得しているかを教育年数として表した新たな指標を使おうという流れも形成されてきました。

ざっくり一言でまとめると、「単に学校に行くことよりも、(学校も含めた様々な)学びによってスキルを習得することが大事」という国際的な潮流が2007年頃から形成され始めたということです。

学校に行くと、なぜ所得が上がるのか?

学校へ行くこと、スキルの習得、雇用や賃金の間のリンクは大きな注目を集め、2014年2019年に、アフリカの経済発展からこれに注目したレポートが出ています。

ちょっと長いレポートですが、重要なポイントをかいつまむと、

① 学歴と所得の伸びの関係は、経済発展が早い国ほど教育による所得の伸びが大きくなる。具体的には、経済発展の遅い国では教育を一年多く受けるリターンは10%程度なのに対し、経済発展の早い国はその倍の20%近くになる。

② 学校教育による所得の伸びは、より高い教育水準の所で顕著になる(つまり、小学校で1年受ける教育よりも、大学で受ける1年の教育の方が、より所得を大きく上昇させる)。具体的には、小学校に一年間長くいくことのリターンは10%程度なのに対し、高等教育のそれはその倍の20%、国によっては30%程度まで行くところもある。

③ ①と②で議論されたような学校教育による所得の伸びの半分は、認知スキルの向上によって説明される。つまり、なぜ学校に行くと所得が上がるのかは、半分は認知スキルが向上するから、残りの半分は非認知スキルの向上・ネットワークの構築・学歴そのものによる効果などであると考えられる。

という3点に集約できます。

残念なことに日本を含めた先進国に比べて学校教育の質が全般的に低いアフリカですら、学校教育は認知スキル(ここでは国語や算数の成績)を向上させており、恐らく非認知スキルや職業スキルも幾分か向上させているわけです。

再びザックリと一言でまとめると、「ただ単に学校に行くことよりも、(学校も含めた様々な)学びによってスキルを習得することが大事」だけど、「学校もちゃんとスキルを習得させてくれる場所」だということです(そして、恐らくスキルを得ることに関して学校教育を受けることは効率も良い)。

政府・財界はスキルのある「人材」を獲得するための努力をすべき

冒頭で紹介した経団連の提言や文部科学大臣の高専押しを改めて読むと、生徒・学生、企業、教育行政について以下のことが言えます。

生徒・学生については、スキルの習得を目的に進学先を考える時に、高専か大学かといったことや、大学名にとらわれるといったこと以上に、具体的にどういうスキルがどの程度得られるのかを考えると良いかもしれません。

企業については、学校や大学へ要望を出すのもアリではあるのですが、それ以上に重要なのが、どういったスキルを必要としていて、それを高く買うのか、というのを自ら生徒・学生に伝えていくことです。

そして教育行政は、特定の学校種類の応援団を自称するのも勝手ではありますが、そういう大して意味のないことよりも、教育市場・労働市場の問題への取り組みにこそリソースを割くことが望ましいでしょう。

先に紹介したレポートでも言及があるのが、どのようなスキルに需要があって高く買ってもらえるのか、ほとんどの生徒・学生は分かっていなくて、スキルギャップの原因になっているという点です。

というのも、スキルを中心とした教育市場・労働市場は完全なものではありません。スキル需要に関する情報が不完全で、「どういったスキルがあると好ましいのか」が生徒や学生にわかりにくいという問題や、同じスキルを得てもその見返りに人によって大きなばらつきがあるため、これに対処するために教育ローンの返済を収入にリンクさせたものにするのかなど、解決すべき教育市場・労働市場の問題は数多くあるのです。

企業の人間は、椅子に深く腰掛けて「必要なスキルを持った人材がいない」と嘆くのではなく、自ら積極的にこういうスキルを必要としていて高く買っていますと、生徒や学生に伝えて、それを習得して労働市場に出てきてもらえるよう促すことが必要なのです。

いずれにせよ、国際的な流れや、文部科学大臣や経団連の立ち位置を考えると、今後の教育は、単純に教育を受けたことではなく、どのようなスキルをどの程度バランスよく身に付けているか、を中心に展開されていくのは必定です。自分の子供の教育や自分自身の教育を考える時に、「スキル」という視点は欠かせないものとなっていくでしょう。

サルタック・シクシャは、ネパールの不利な環境にある子供達にエビデンスに基づいた良質な教育を届けるために活動していて、現在は学校閉鎖中の子供達の学びを止めないよう支援を行っています。100円のサポートで1冊の本を子供達に届ける事ができます。どうぞよろしくお願いします。