インドより酷い今日の日本の教育政策?
今学期は必修の教育政策特論を取ることになりました。毎年トピックが変わるこの授業、最悪なことに今年はミシガン州の副教育長によるミシガン州の教育政策という全く興味の無いトピックになりました。
授業の内容は全く興味が湧かないのですが、実務家がどういう授業をするのかは、私も10年間国際機関で働いてきた実務家なので、とても興味が湧きました。
初回の内容は、過去20年間の大きな教育政策の流れと、それのエビデンスとなった論文の読解でした。対象となった論文は末尾に置いときますが、重要所はカバーされているし、最近の論文も入っていて、実務家でもこんなに因果推論に注意を払って、エビデンスを吟味して、がっつり論文を読ませる授業をするんだなと驚きました。まあ、ここミシガン州立大学で博士号を取得している人なので、さもありなんという感じかもしれませんが。
授業の帰り道に、同じ授業を取らされているインド人の友人に「授業のトピックはつまらないけど、自分の国の文部省の官僚ではあんな授業はできないよ、凄いよな」と言ったら、「確かにうちの国の官僚ではあんなインタラクティブな授業はできない」と思ってもいない相槌がきました。
畠「違うよ、ああやって主要な政策とそれを裏付けるエビデンスを列挙するのがうちの国の官僚にはできないんだって」
印「いや、それは博士号を持っていればできるでしょ」
畠「うちの国なら、博士号持ってなくても余裕で高級官僚になれるで」
印「!!!」
畠「むしろ、文部官僚に教育大学院に行った奴なんて殆どいない」
印「いや・・・さすがにそれはフェイクニュースでしょ・・・」
という会話が展開されたので、インドの文部官僚は院卒が基本なのは凄いなと一瞬思いかけたのですが、冷静に振り返ると、マラウイやジンバブエですら仕事相手の教育省の局長級の官僚は博士号を持っていたので、まあインドならそうだよなと思い直しました。米国は、そもそもの制度が手の施しようがないレベルでどうしようもないので教育官僚がどれだけ頑張っても無駄な所があるし、インドのような途上国もドナーの意向に振り回されるので教育官僚が手腕を発揮する余地が少ないけど、それでも高級官僚は政治性だけでなく専門性も高く、たとえ教育はダメでも教育政策は頑張っているのは凄いなと思いました。
インド人と別れてから日本のことを振り返って、過去の良い教育政策の遺産(義務教育費国庫負担金制度・人材確保法・広域教育行政辺り)、過労死ラインに近い教員がゴロゴロいる現場の踏ん張り、塾に代表される旺盛な私教育支出によって高い教育水準が維持されていて、ここ最近の教育政策はダメだけど教育は良いという米・印の逆だなと思いました。しかし、現場の疲弊も酷いし、若い世代はお金が無いしで、教育政策がダメなままではいつまでも持ち堪えられるわけもなく、チャンスに出来ないタイプのヤバいピンチを迎えつつあるよな、卒業後に国際教育協力とかやってる場合じゃなくて帰国した方が良いのかな・・・、などと考えながら寒い中(-15度)をとぼとぼ歩きながら帰宅しました。
ただ、帰宅して暖かい部屋に入ると思考回路も正常に戻って、これ、海外では文部官僚がちゃんと大学院を出ているんだよ、という質の悪い出羽の守だなと気が付いたので、まあ国際機関に戻ればいいやと思い直した、という日記でした。
初回の授業の教科書&政策文章以外のアサインメント論文↓
サルタック・シクシャは、ネパールの不利な環境にある子供達にエビデンスに基づいた良質な教育を届けるために活動していて、現在は学校閉鎖中の子供達の学びを止めないよう支援を行っています。100円のサポートで1冊の本を子供達に届ける事ができます。どうぞよろしくお願いします。