自民党が理解できていない「大学受験生に2万円の給付」の意義(Wezzy2020.10.20掲載)

公明党が、「大学受験を控えた高校3年生や浪人生を対象に、大学入学共通テストの受験料に相当する2万円の給付を提言した」ことと、それに対して、萩生田文部科学大臣が、「その目的は何なのかということも含めて与党でよく相談をしてほしい」という返答をしたことが話題となっています。

報道されている教育関係の政治家の反応や、メディアの反応を見ていると、ものの見事に何も分かっていないようで、かなり驚きます。

米国は良くも悪くも、何か教育政策上でよく分からない事があると、実験してみたり、研究者が何らかの疑似的な実験足り得る出来事を見つけてきたりして、その効果を明らかにしてくれます。それは大学受験料の話も例外ではありません。たかが大学受験料と思うかもしれませんが、そこはされど大学受験料で、実は大学受験料の変更は大きな影響があることが分かっています。

そこで今回は、大学入学共通テストの受験料を給付する目的が何なのかよく分からない、というよく分からない議論を理解するために、大学受験料に関する米国の議論を紹介しようと思います。

重大な選択が些細なことで左右される

教育に限らず、様々な分野の研究が、情報が不確かな中での人々の意思決定が、僅かな手がかりや、比較的分かっている部分に大きく左右されてしまうことを明らかにしています。このような人々の意思決定の特徴は、大学受験に関しても当てはまります。

ちょっと何言ってるか分からない、という読者の方には、ご自身が大学受験や就職活動をした時のことを思い出してみて欲しいと思います。実際に進学や就職をしてみて、良い方向にも悪い方向にも、受験や就活の時には分からなかったことは少なからずあったのではないでしょうか? つまり、進学や就職という意志決定を下すときに、進学先や就職先に関する全ての情報を把握していたわけではなかったはずです。これが、情報が不確かな中での意思決定です。

そうした中であなたは進学先や就職先をどのようにして決めたでしょうか? 一生に大きな影響を与える進学先や就職先を選ぶという決断の重要性に対して、案外キャンパスがお洒落、福利厚生がしっかりしているといった今になって考えてみると些細な事が決め手となった人も少なからずいるのではないでしょうか。この些細な事が、意思決定を大きく左右する僅かな手がかりや比較的分かっている事を指します。

これは何も進学や就活といった、私の研究対象となる領域の話だけではなく、例えば医療保険や生命保険といった保険の購入、車や家の購入など、様々なことに当てはまる話です。

実際に、米国の大学生の進学行動にもこれは顕著に見られます。大学への進学は、諸々含めると1千万円以上もかかる非常に高額な選択である一方で、高卒と大卒の生涯収入の差も数千万円に及びます。このように、大学進学は非常に大きな金額が動く選択肢であるにもかかわらず、米国では、数十万円の奨学金の提供や、奨学金申請書の作成補助、大学入試における志望動機書の廃止、といった極めて些細なものが進学行動に少なからぬ影響を及ぼすことが分かってきています。

日本でも、大学進学行動が持つ意味の大きさに比べて極めて些細な入試科目の変更といったものが、出願数に影響を及ぼしたりするので、似たような状況はきっと存在しているはずです。

大学受験料の変更が及ぼす影響

米国では大学受験料も、この些細なものに該当しています。いくつかの論文が、日本円で僅か数百円から千円程度の受験料の変更が進学行動に影響を及ぼしていることを明らかにしています。参考として、米国で行われた進学行動の先まで計算した論文を紹介します。

アメリカにも、日本の大学入学共通テストに似たようなものが2つあります(あくまでも似ているだけで、複数回受験できる、試験がコンピューターベースで行われるなど大きな違いがいくつもあります)。①この試験を受けるのにも受験料が必要ですし、②その試験結果を希望する大学に送ってもらうのにもお金がかかりますし、③さらに大学を受験するのにも別途受験料が必要になります。今と昔で受験料も違えば、インフレもあるので、正確な値を調べきれませんでしたが、ザックリと円換算すると、①③にそれぞれ5千円ぐらいはかかります。

件の論文が分析したのは②の部分の変化です。試験の片方は、ある年までは試験結果の送付は3校まで無料+4校目以降は1校につき600円だったのですが、その年以降、4校まで無料と変更となる一方で、もう片方の試験はそのような変更が行われませんでした。これを利用して、その後何が起こったのかを解き明かしています。

まず、その変更の前後で、試験結果を送る大学の数を3校から4校へ増やす人が激増しました。ここまではそりゃそうだろうなと思いますが、ここから先が少し驚きの結果となっています。

試験結果を大学へ送ったからといって、その大学を受験しなくても良いわけですし、実際に受験すると、③の受験料5千円が新たに発生します。それにもかかわらず、試験結果を送る大学の数だけではなく、実際に受験をする大学の数も増加しました。

さらに興味深いのが、この増えた受験校がどのような大学であるか?、という点です。豊かな家庭の生徒の間ではこれといった特徴は見られなかったのですが、貧しい家庭の生徒の間にはある特徴が存在していました。

受験の際に、大学はその受験生にとって安全校か、実力相応校か、挑戦校か、といった分類をすることがあります。貧しい家庭の子供にとっては受験料もバカにならないので、合格するかどうか分からない挑戦校への出願を控え、合格を貰えて受験料が無駄にならないであろう安全校や実力相応校を受験しがちになります。しかし、一校新たに受験する際の費用が僅か600円下がった結果、貧しい家庭の子供達は、折角なので挑戦校も受験してみようという行動をとりました。

この結果、よりランクの高い大学に進学する貧困層の子供が増加しました。貧困層の子供がランクの高い大学で学べば、将来より良い収入を得て、貧困削減や格差の縮小に繋がりますし、29000人に1人の貧困層の子供がこの制度変化によって短大に進学するようになれば、その便益は制度変化のコストを上回るという、かなり驚きの結果となっています。

たった数百円の大学受験料の削減が、想像もつかないような大きな効果を生んでいたのです。

まとめ

新型コロナは家計にも少なからぬ影響を与えているはずです。この環境を考えれば、2万円の給付という額や仕組みに検討の余地は大いにあるものの、受験料負担軽減のための何らかの補助という措置は、費用便益で見ても、社会格差の拡大防止という面から見ても、理に適うオプションだと考えられます。むしろ、新型コロナが落ち着いた後もこの問題はよく検討される必要があります。もちろん、事後的な検証は必要ですが。

公明党の提言も、悪くはないのですが、給付の理由を読むと今回紹介した大学受験料と貧困層の受験行動のメカニズムを理解したうえではなさそうです。また、どのような層が浪人という選択を取れがちか、高校と大学の受験の際の出願制度と私立で学ぶ生徒・学生の割合の違い(高校:33%、大学74%)を考えれば、萩生田文部科学大臣の反応はメカニズムどころか何も分かっていないレベルの代物です。

そういえば、私も受験料がもったいないので、センター試験と国立前期しか受けていない口でした。高校時代も通学費用などを捻出するためセンター試験の直前までバイトをしていましたし、大学時代も親戚の方の家に下宿させてもらいつつ朝と晩はバイトをしていたぐらいなので、私大を受ける数万円ですら惜しかったからです。

その後の人生では、同級生に嫌気がさしてGW前には大学に行かなくなりましたし、大学院も先生の1人と揉めて退学しましたし、仕事に忙殺されたのが引き金となって離婚もしていますし、政府の大きな汚職事件の対応を巡って子供達のためにどこまでリスクをとるかマネージャーの1人と対立して仕事も辞めてしまいましたし、医者に途上国での仕事なんて止めなさいと言われるほど健康状態も悪いのに2年に一度は国境を越えてお引越しですし、なんなら今もネパールで調査をするために敢えてアイビーの大学院の合格を蹴って網走刑務所のような場所にある大学院に来たのに、この夏に一度目の現地調査に行く直前で新型コロナでそれが不可能になって博士論文がメチャクチャになるだけでなく、英米の大学が採用を凍結して卒業後の見通しもメチャクチャですし、帰国の目途もたたず今の配偶者にも2年弱会えていません、これでバツ2にでもなったらコロナ離婚ブームの仲間入りです。

大学受験も頑張って、2度は同じ人生を歩みたくないと思うぐらい仕事も頑張っているのに、その後の人生があまりにもしんど過ぎて自分でも笑えてきますが、それでも人生で何が一番しんどかったかと問われれば、間違いなく大学受験です。今でもたまに、試験前に勉強し終えていない範囲があって、試験にそれが出て、失敗が許されない一発勝負の受験なのに失敗するという悪夢を見ますし、この報道を見た日にもその悪夢を見ました。

同級生に嫌気がさして大学に行けなくなったのも、自分は父親が家を出ていく、高校入学前の友人達のおかげで街では喧嘩を吹っかけられる、「お前は人間の屑だ」と罵ってくる教師に囲まれる、そんな人生を変えたくて、この街を出たくて、バイトをしながらトラウマレベルの一発勝負に挑んだのに、入学してみると、保護者の年収が日本一という事実に象徴される、滑り止めも何校でも受験できて、なんなら半数近くは浪人もさせてもらっている恵まれた環境で育ってきた同級生に、貧しい田舎者扱いされるのが、18歳の私には受け止めきれない屈辱だったからです。

せめて、受験料の心配も無く大学を受験できる環境だったら、未だに悪夢を見ることも無かったでしょうし、大学でちゃんと勉強して、もう少し幸せな人生を送れていたのかもしれません。

教育政策の専門家として、新型コロナの影響が拡大する中で9月入学から始まり貧困層の子供が到底見えているとは思えない稚拙な議論をここまで見せつけられるのも大変腹立たしい所がありますが、一人の人間として、窮地にある受験生の感情を全く慮ってあげられない議論をする政治に腹立たしいやら、情けないやら、悲しいやら、あまりにも色々な感情がこみあげてくるので、この記事はこの辺りにしておこうと思います。それではまた来月。

サルタック・シクシャは、ネパールの不利な環境にある子供達にエビデンスに基づいた良質な教育を届けるために活動していて、現在は学校閉鎖中の子供達の学びを止めないよう支援を行っています。100円のサポートで1冊の本を子供達に届ける事ができます。どうぞよろしくお願いします。