体育は子供の学力を向上させるのか?(Wezzy2019.12.12掲載)

みなさん、運動していますか?来年は東京オリンピック・パラリンピックの年ということもあり、私の専門の一つである国際教育協力の分野も、スポーツと国際開発は徐々に注目を集めてきています。また日本政府も青年海外協力隊などを通じて、途上国の各地で東京五輪に向けての雰囲気醸成を行っています。そこで今回は、体育について取り上げたいと思います。

適度な運動が健康に良いことはあまりにも有名ですし、医療関係者でもない私が解説するようなことではないでしょう。私が取り上げるのであれば、やはりテーマは「体育は子供の学力を向上させるか?」という点になります。

前回の英語に関する話でも強調しましたが、子供が持つ時間は有限です。子供に英語を身につけさせたい、プログラミングを身につけさせたい、お受験をさせたいと考えていると、受験の対象ではない科目なんて失くしてしまえ、ないしは外で遊んでいる時間があるなら勉強して欲しい、と思う人もいるでしょう。実は米国は、これを国家として実行した経験を持っています。

米国ではブッシュJr.政権とオバマ政権を通じて、数学や国語といった主要教科での学力を保障するために、州内の子供達が一定の学力に達しない場合、連邦政府からの資金を引き揚げるといった教育政策を採りました。このため、州や学区の中には、この条件をクリアするために、音楽や体育といった非主要科目を取りやめ、主要科目の時間数を増やす所も現れました(資金難から音楽や体育の教員を採用できなかった学校も混じっていますが)。

こうした教育政策はどのような結果を生み出すと予想されるのでしょうか?

十分な運動は学力向上につながるが…

運動と学力の関係を分析した研究の多くは二つの問題を抱えています。一つは、体育の時間が増加することによって、主要科目の時間数が削られてしまう可能性を考慮できていない実験デザインの問題です。

例えば、ミシガン州で実施されたランダム化を用いた実験では、何もしない群・中程度の運動をさせる群・健康基準に定められた程度の運動をさせる群の三群にランダムに子供達を割り振って、運動の効果を測定しました。この結果、健康基準に定められた程度まできちんと子供達に運動をさせれば、学力向上につながることが明らかとなりました。医療分野では運動と神経の発達などが明らかにされているので、とても説得力のある結果です。

しかし、運動が学力向上につながるからといって体育の時間を増やすと、今度は他の科目の時間が奪われ、それが運動の効果を相殺してしまう可能性があります。ミシガンの実験は、学校の時間外で行われたものであり、この点を考慮出来ていません。そのため、運動は学力向上につながるとは言えるものの、それが他の時間を犠牲にするほどの価値があるものなのかはわからないのです。

二つ目の問題は、前回の記事で言及したセレクションバイアスの問題に対処できていない研究が一定数あるということです。この事例に基づくセレクションバイアス問題とは、運動が子供の学力を向上させたのか、それとも学力の高い子供が運動を多く行っているのか、どちらなのかわからない、という問題です。

日本と異なり米国では、大学での入学試験で、スポーツの実績もそれなりに加味されます。このため、親が子供に高学歴・学校歴を望んでいて、子供を体育がきちんと実施されている学校へと入学させる、というのはかなりあり得る話です。

小学校での体育の増加は、学力向上につながるか、つながらなくとも学力低下は招かない

こうした問題を抱えているため、体育が子供の学力を向上させるかどうかを調べる際には、長期データを用いて体育の時間の増加が学力向上にも効果があったのかどうかを検証することが主流となります。その中でも、米国の中で最も有名な子供に関する長期データを用いた研究結果を紹介しようと思います。

この研究も、ミシガンの研究と似たように、子供の体育の程度を3段階に分けて、幼稚園年長から小学校5年生までの体育の学力への影響を見ています。

結果は、そこまで大きくは無いものの、体育は子供の学力向上に効果があるというものでした。体育の時間の増加が、他の授業の時間を削ることを考えれば、効果量がそこまで大きくないというのは理解できる結果ではあります。ただし、この結果は全ての段階において当てはまるわけではありませんでした。

これもミシガンの結果と同じですが、3段階の内の2段階目、すなわち中程度の体育の時間では学力向上は認められなかったのです。やはり、体育が学力の向上へとつながるためには、医療分野で定められた十分と言える量の運動をこなす必要があるようです。そして、興味深いことに、体育の時間と学力向上の関係が認められるのは女子だけで、男子にはこのような関係は認められませんでした。

体育の時間の増加が女子には効果的だけど、男子には効果が無いというのは、他の研究でも比較的広く見られる現象です。なぜこのような結果になるのか、まだ理由は断定できないのですが、有力な説も一つあります。それは小学校の男女を比べると、元々男子の運動量は女子よりも多いので、女子には体育の時間増加によって十分な運動量を確保することが効果的ではあるものの、男子は体育が無くとも十分な運動量を確保しているというものです。

確かにこれはありそうな話ですね。

中学校での体育の増加はいじめや非行を招く?

テキサス州では、体育の授業を促進すべく、貧困層の多い中学校に与えられた助成金の効果測定が行われています。この実験も非常に興味深い結果となっていました。

テキサス州の事例では、体育の時間の増加は、学力に対して何の効果も持ちませんでした。裏を返すと、中学校レベルでも、体育の時間を増やして、他の科目の授業時間が圧迫されても、学力低下は起きないということでもあります。

ただし、学力以外の点で気掛かりな結果も出ました。それは、体育の時間の増加が、不良行為・停学・欠席日数の悪化につながった点です。着替えの時間など教員の目の届かない時間が増えてしまう、運動の苦手な子がからかわれやすくなるといった理由から、体育の授業時間増が、いじめの増加につながった可能性を論文は指摘しています。

「健全なる精神は健全なる身体に宿る」とも言いますが、個人的な体験から考えると、身体が屈強でないとツッパリ通すことも出来ないので、「ツッパリは健全なる身体に宿る」という点もあるわけで、体育によって健全な肉体がもたらされた結果、ヤンキーや喧嘩の増加につながったという経路もありうるのではないかなと私は思いました。

まとめ

子供の時間は有限であり、外で遊ばせるよりも、英語やプログラミングなどの非運動系の習い事に時間を割かせたいと考えることは理解できるものです。学校に対しても、体育などやっていないで、主要科目に集中して欲しいと思いたくもなるかもしれません。

しかし、特に低学年の子供は十分な運動を確保してあげることが学力面からも大事なことです。たとえ十分な運動量を確保するために学習の時間が減ってしまったとしても、です。普段から走り回っているような子供についてはそこまで気にかけなくても良さそうですが、運動量が足りていないなと思われるような子供には、運動量を確保できるように気を使ってあげるのが良いのかもしれません。

サルタック・シクシャは、ネパールの不利な環境にある子供達にエビデンスに基づいた良質な教育を届けるために活動していて、現在は学校閉鎖中の子供達の学びを止めないよう支援を行っています。100円のサポートで1冊の本を子供達に届ける事ができます。どうぞよろしくお願いします。