高校普通科に学際融合学科・地域探究学科を追加? なにもかもがめちゃくちゃな日本の教育政策(Wezzy2020.07.25掲載)

2022年の春から高校普通科を再編し、普通科に加えて学際融合学科・地域探究学科を設ける案がまとまったという思わず腰を抜かしそうな報道が出ました(読売新聞「【独自】高校普通科、3科に再編…「学際融合」「地域探究」の2学科新設容認」)。

なぜ私が腰を抜かしそうになったのか、理由が二つあります。一つは、教育政策の優先順位を大きく間違えていること。もう一つは、ジェンダーメインストリーミングという政策立案上の基本が考慮された形跡が全く見られないためです。

高校に入学した子供の学習意欲が落ちるという課題

読売新聞を読むと、SDGsなどの現代的な課題に対応するために「学際融合学科」、地域社会の課題に対応するために「地域探究学科」が設置されることが読み取れます。前者は大学や国際機関との連携、後者は地元自治体や企業との連携が想定されているようです。

この記事だけだと、なぜこのような普通科の再編に取り組まなければならないのか見えづらいですが、文部科学大臣の記者会見でその理由が分かります(動画の10分辺りから)。

大臣の答弁をまとめると、21世紀出生児縦断調査のデータを見ると、高校に入学すると子供達の学習意欲がガタ落ちしてしまうという問題があるため、これに対応する必要がある。この問題に対処するべく、子供達の多様な学習ニーズに応えるために、普通科の再編に取り組むのだ、ということのようです。確かに、日本の高校生の学習意欲が低いことは、国際比較からも指摘されていますし、このようにデータに基づいて教育課題を把握することは素晴らしいことです。

2022年というタイミングの問題

新型コロナにより、世界中の80%近くの子供が学校に行けなくなるなど、教育分野もこの感染症の影響を強く受けてしまっています。この影響を緩和すべく9月入学の議論が出てきたことは、記憶に新しいところだと思います(先の大臣会見を見ると、あれだけ批判されていたにもかかわらず、いまだに議論の俎上にあることに驚かれるとは思いますが……)。

この新型コロナの影響による9月入学の案は、入試を迎える代と幼児教育の代のどちらが優先されるべきかという選択を迫られる議論であることを解説したことがありますが(現代ビジネス「大迷走する「9月入学」議論、幼児教育政策から見た「3つの悪影響」」)、9月入学案は結局のところ先送りとなり、幼児教育の世代が優先された形となりました。これ自体は正しい判断だったと考えます。

入試に関して言えば、今年入学試験を迎える学年が一番大きな影響を受けるのでしょうが、今もなお平常通りに授業が出来ていないわけで、向こう数年の間に受験を迎える学年もこの影響を受け続けることになるでしょう。9月入学の議論で優先されなかったからこそ、政治的にも、教育現場的にも、この問題への対応に全力でリソースが割かれることが最優先課題となります。

しかし、この状況で再来年から高校普通科再編を実施しようとしたら、教育現場はどうなるでしょうか? 新型コロナの影響を受けた学年がキャッチアップできるように注がれなければならないリソースのいくぶんかが再編対応に取られてしまうことは必定です。仮に、この高校普通科再編か望ましいものであっても、少なくとも2022年というタイミングは望ましいものではないと言えます。

学習意欲の低下は「課題」か「問題」か

教育問題は沢山ありますが、その中でも解決されなければならない「課題」と、好ましくはないものの優先的に解決されなくても良い「問題」に分けることができます。

高校生の学習意欲が課題か問題かと言われると、私は問題の方だと考えます。なぜなら、確かに他国と比べて学習意欲が低い状況にはあるものの、他国と比べて学力が低かったり、高校の卒業率が低かったりといった、日本経済に関わるような事態を引き起こしているわけではないからです。

それに対して、日本の基礎教育は日本経済に悪影響を与えている明確な二つの教育課題を抱えています。

一つは学校現場におけるICTの活用です。PISAのような学力調査でも、日本の教育現場におけるICTの活用は先進諸国の中でも断トツに低いことが明らかとなっています。そして、日本の経済成長について分析されたペーパーを読むと、ICTの活用やイノベーションといった領域が足枷になっていることも分かっています。

さらに、日本の教員の長時間労働もTALISという国際比較調査で明らかとなっており(SYNODOS「日本の強みを活かした教員マネージメントとは?――国際教員指導環境調査の結果から」)、その一因としてICTの活用の遅れによる事務仕事の非効率さが挙げられます。私も「SENSEI多忙化解消委員会」のコンサルタントとして教育現場を見ていますが、ICTの活用の遅れが教育の生産性を押し下げていることを定性的にも実感しています。

教育現場におけるICTの活用は、学習意欲の問題と比べれば明確に課題だと言えます。

日本の女子教育の課題

もう一つの課題は女子教育です。詳しくは過去の連載の記事(連載「女子教育が世界を救う」)を、良い機会なので読み直してみて頂ければ幸いですが、日本の女子教育の課題は以下のような三重苦にまとめられます。

①男子と比較した時の大学進学率・大学院進学率が、先進国の中でも低く、低学歴の女性が多過ぎる
②旧帝国大学などのトップスクールで女子学生の割合が低く、低学校歴の女性が多過ぎる
③男子と比較した時のSTEM分野への進学率が、先進国の中でも低く、今や死語となったリケジョが少なすぎる

連載の中でも繰り返し指摘してきましたが、女性差別的な労働市場があるために女子が学ぶインセンティブが低いし、政府の税制も女子が学ぶインセンティブを低くしてしまっているし、教育環境も女子学生にとって望ましいものではないのが日本の現状です。このことを鑑みると、日本の女子学生を取り巻く問題は「女子学生に原因がある」というのは誤りで、むしろ日本社会全体で女子学生が学ぶインセンティブを高めていかなければなりません。

いずれにせよ、IMFなどからも指摘されているように、人口の半分を占める女性の低賃金は日本経済の足かせとなっており、日本の女子教育は、やはり学習意欲と比べると明確な教育課題であると言えます。

普通科再編をジェンダーメインストリーミングしてみると…

政策の全ての過程において、ジェンダーの視点を持つことをジェンダーメインストリーミングと呼びます。この高校普通科再編を、ジェンダーメインストリーミングで考えてみると、どうでしょうか?

他の先進諸国と比べて、日本の女子学生は、STEM系にもチャレンジングな進学行動もとらないことを考えると、普通科再編の中でも、「地域探究学科」が女子学生を多く集めるのではないかと私は考えます。そして、結局のところこれの帰結は……

1.女子学生のSTEM離れ——高校生程度の知識で連携できるということは、最先端の科学技術を使うような企業というよりも、地元の中小企業、恐らく商店街の活性化など、STEM系の知識を必要としない物に偏るのではないかと私は考えます。
2.女子学生の低学校歴——都会のトップスクールに頑張って進学するよりは、「地元の自治体や企業と折角経験を積んだんだし、地元の大学で良いかな」という進学行動がより顕著になるのではないかと私は危惧します。
3.女子学生の低学歴——地元自治体や企業との連携から大学院まで行こうという発想は、国際機関や大学との連携とのそれと比べて、格段に弱いものになるのではないでしょうか?

と、私は現在日本の女子教育が抱える三重苦の問題をより悪化させると考えます。

むしろ、ICTを使える人材が学校現場に足りない・女子のSTEM離れが深刻・AIを使うには最低でも線形代数/微積分/統計が必要という現状を考えると、普通科に進学した女子学生も線形代数/微積分/統計を学ぶための基礎を高校で付けられるように、それに該当する数学科目を全員必修にするという方向に行くのが自然だと私は考えるのですが、なぜそちらに行かないのか疑問です。

まとめ

なぜいきなりAIが出てきたのかと疑問に思う方もいるかもしれませんが、これは、この高校普通科再編に関する、衆議院議員で元文部科学副大臣の義家弘介氏の呟きによるものです。

義家氏は、「主査として進めた『高校改革』が動き出した。AI時代には偏差値でランク分けされてきた普通科はもう時代に合わない」という趣旨のことを呟かれています(続く呟きで、大学生の遅刻について言及されていたのですが、普通科再編から大学生の遅刻に繋がるロジックが全く分からなかったので、理解できる読者はご一報いただければ幸いです)。

萩生田大臣が会見で、データによると高校生の学習意欲が問題で、そのために高校普通科再編だと述べたのと比べると、定義がよく分からないジャーゴンと、そこから派生するよく分からないロジックを振り回していることが際立ちます。

9月入学でも似た構図は見られ、データに基づいて現状を冷静に把握しようとする政治家と、思い込みと意味が分からないロジックで9月入学で国際化を進めようとしている政治家が見られました。

萩生田大臣もかつて「赤ちゃんはママがいいに決まっている」発言で物議を醸していますし、データには基づくものの優先順位と戦略の立て方に疑問は残るので、手放しには応援できませんが、思い込みや定義不明なジャーゴン・意味不明なロジックを振り回す政治家よりは断然応援できます。

データに基づいた冷静な議論をする政治家を応援しつつ、優先順位と戦略については働きかけを行い、思い込みで突っ走る政治家は選挙でキッチリ落としていかないとダメなんだろうなというのを、ここ最近の日本の教育政策議論を見ていると改めて思いました。

サルタック・シクシャは、ネパールの不利な環境にある子供達にエビデンスに基づいた良質な教育を届けるために活動していて、現在は学校閉鎖中の子供達の学びを止めないよう支援を行っています。100円のサポートで1冊の本を子供達に届ける事ができます。どうぞよろしくお願いします。