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勝手に音楽レビューvol.4〜想い出に負けるな編〜


0 9 0
0 1 2 0
1 1 0
1 1 9

日本人ならこの数字をみると
" あ、何の何だ "
と反応する人がほとんどだろう

(ちなみにわたしは080派です)

それと並んで10年前から
ひとつ加わったものがある

3 1 1

である

2011年3月11日言うまでもない
このことについて語るのはとても責任が伴う
と、わたしはおもう
そんなことは誰も言わないし
ましてや思ってもいないのかもしれないが
語り手は勝手に脳内で"不幸比べ"を始めてしまい

いや、あの人に比べたらわたしの被災の程度なんて…

わたしは別に何かを失ったわけじゃないし…

などなど
決して一口一言で語れる出来事ではないことは
周知の事実だと思う


そんな中で
2012年3月11日より以後10年間
毎年3月11日に1曲の音源を上げ続け
音楽で語り続けているバンドがいる


RADWIMPS

というバンド

今回はそんなRADWIMPSの10年の軌跡の中で
2015年3月11日にUPされた曲について
好き放題語らせていただこうと思う

あいとわ / RADWIMPS


" 原発が吹き飛ぼうとも 少年が自爆しようとも
その横で僕ら 愛を語り合う "

冒頭の歌詞である

もう1文字目からさっさそく
" 原発 "と歌っている

それがわたしには当時
どれほどの自由と責任を飲み込んで
歌っているのかと、心を掴まれたのを
鮮明に覚えている

音楽にはいろんな形がある
誰かを応援したり誰かを揶揄したり
自分を曝け出したり
それら含めて自由であるものだと思う
しかしわたしには
それらの音楽が責任という審査を通っていない気がすると途端に霞んで映ってしまう

それは筋が通っている、嘘がない、など
それももちろん大事だし備わっていて欲しいのだが
それとはまた別ベクトルで
音楽の聴き方がどんどん進化し
海外の海外の音楽も指先一つで
耳元まで近づけることのできる現代において
音楽を鳴らすというのは
歌をうたうというのは
世界中の人々の耳元で叫ぶのとなんら変わりないように思える

その責任を一新に背負った音楽が
わたしにはとても輝いてみえるのだ

(抽象的で本当にごめんなさい、明日は白米ぬきます)

それが冒頭の" 原発 "の2文字に全て
集約されているような気がして
胸の中でわたしの心が気をつけをしてるのがわかる



RADWIMPSと言えば
わたしくらいの世代(24〜26歳)人たちからしたら
中学生時代ドンピシャなんじゃないかと思う

当時、アジカン、バンプ、RAD、この辺りのどれかを通るのが王道コースのような気がする
わたしもその王道コースを駆け抜けた中坊のうちの1人だ

RADWIMPSは思春期の途方もない宛名のない怒りや不満や葛藤を全て言葉にしてくれた、歌にしてくれた
誰かのせいや何かのせいにするというより
ただただ、感情を象り名前をつけてくれる
それだけでなんか救われた気がした

この曲も例に漏れることなく言えることだ
どこか後ろめたいような
どこか着地場所を探ってた感情を 
見つけて歌にしてくれた

" 行ったり来たりで 所在なさげに
おそるおそる あたりを見る "だけのわたしを
導いてくれた

わたしにとっては
そんな素敵な音楽である

しかし、それだけじゃ
傲慢で欲張りで食いしん坊のわたしは
満足しないのだ(満足してくれ頼む)


時に、
音楽は心臓を握り
グーグルマップのように想い出に赤いピンをたててくる
後悔に栞を挟んでくる


これがまた厄介で
その曲の再生ボタンが
涙腺と直結してんのか?となるほどに

簡単に涙ちょろりだ
いや、涙ほろりだ
うーん、涙ポロリか?
(早く次へ行け)


生きていると想い出に負けそうになる瞬間は沢山ある
俗に言う、エモい、だ
今に満足できないとすぐに想い出が襲ってくる
omoide in my headだ

ありきたりな言葉になって大変申し訳ないのだがそんな夜は音楽を聴くのだ

それは応援してもらうためでも
励ましてもらうわけでも
慰めてもらうわけでもなくて
血の底まで追いやってもらうのだ

最低で最悪な自分と今を
音楽に指摘してもらうのだ

そういう消化の仕方をわたしはする

想い出や後悔をアップデートするために
わたしは音楽を聴く

" 君の涙をいっぱいに溜めたその
笑顔は なぜに それほど美しい
身の丈を遥かに超える 痛みの波を浴びて
それでもなお 笑うからでしょう "


本当に悲しくて
最高に美しい歌詞だ

人生はきっと
" それでも尚 "の繰り返しだ

友達が友達じゃなくなろうが
親が死のうが
恋人に振られようが
仕事がなくなろうが
学校を辞めようが
受験に失敗しようが
家がなくなろうが
雨が降ろうが
深爪しようが
信号に何回引っ掛かろうが
お気に入りの何かが壊れようが
ため息を何回しようが
夢を諦めようが
後悔する恋をしようが
町が無くなろうが
バンドを辞めようが
終電を逃そうが
宿題が終わってなかろうが
警察に捕まろうが
ボケて子供の名前も忘れようが
あなたがあなたじゃなくなろうが

朝は来てしまう
明日は来てしまう

だから
最高の思い出や忘れられない後悔に負けない今を
全力で生きていきたい


大切な人に向けて声をあげよう
大切な人と手を繋ごう

そこにいてくれるあなたを
大切に想うこと


愛とは、想い出に負けない今を
大切な人と過ごす日々そのものを
言うのではないだろうか

そんなことを考えながら
今日はいつもより多めにお米を炊きました

ぜひ、聴いてみてほしい


あいとわ


時に
死にたくなってほしい
それでもなお
笑って欲しい



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