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あの世で俺に詫び続けるRPG~ライブアライブ クリアレビュー

この記事はゲームに関するネタバレが含まれます
これからプレイしようとしている方はクリア後の閲覧をおススメします

Switch版ライブアライブのリメイクをクリアした。
ずっと気になっていたけどやったことがなかったので、満を持して初プレイ。
ほぼ前知識無しでプレイしたので(7人の主人公がいるってのは知ってた)、プレイ中の衝撃がいちいちヤバかった。ここまで惹きつけられたRPGは初めてかも。

7人の主人公を自由な順番で選択でき、それぞれの主人公にまつわるストーリーを遊べるオムニバス的な作風は、まだまだRPGも発展途上であった90年代初頭という時代にしてはかなり挑戦的なアプローチ。
ロマサガ3なんかが似たようなシステムだけど、あれはあくまで同じ世界の中での別々の主人公にスポットライトを当てた方式なので、今作のように全く異なる、もはや別々のゲームを遊んでいるかのような感覚になれるのはライブアライブだけだと思う。

また、今作で初めてHD-2Dをプレイしたんだけど、絵の美しさに見惚れてしまった。
新しいけど、どこか懐かしい。繊細な背景、ピントの存在感、「光」の美しさ。でもキャラデザはあくまでドット絵。リアルさが全てではないことを証明してくれる。

さて今回は、各編に関する所感を交えながら話して行こうと思う。
記載はプレイ順。

<SF編>

本記事はネタバレありなので書いちゃうけど、SF編はもう「2001年宇宙の旅」をそのままゲームにしたような話。
色々調べてみても、やっぱそうみたいね。だってやってて思ったくらいだし。
宇宙船を支配するAIの暴走による殺戮を描いた本編は、ボス戦以外は戦闘は全く無し。次々と起こる異変、悲劇に疑心暗鬼になる宇宙船クルー達の織り成すサスペンス。そして徘徊するモンスター(これは映画の「エイリアン」が元ネタと言われている)。
ほとんどBGMが無いのも、本編のスリリングさを際立たせている。
いきなり、RPGにしては異色すぎるシステム。
今思えば、主人公であるロボットの「キューブ」はキューブリックから取っているんじゃないかと思う。さすがに考え過ぎかな?

<功夫編>

SF編とは打って変わって、本篇はある程度、王道RPGを引き継いだ戦闘の多いストーリー。レベルアップ要素、装備や回復アイテムなどもちゃんとある。
3人の弟子のうち、誰に伝承させるか、は初見だと少し分かりづらいかも。自分はユンになったけど、思えば今作で唯一の女性プレイアブルキャラクターであるレイにしても良かったかもと思う。
本篇は、(見たことないから分からんけど)ブルース・リーとかそこらへん好きな人ならニヤッとさせられるシーンがあったりするのだろうか。

<現代編>

本篇は十字キーでキャラをマップ移動させる場面は全くなく、「ストリートファイター」のように画面にバンっと出た敵ウィンドウを選択し、ひたすら戦闘を重ねていく回。
てかもうストリートファイターである。他メーカーだけど大丈夫なのか。さすがに戦闘シーンは格ゲーにはなってないけど。
敵の必殺技を受けることでその技を覚えていくシステムはFF5の青魔導士みたいで面白い。
特にストーリーは無くひたすらシュールに戦闘を重ねていくだけの回かと思ったけど、ボス前のシーンで少しだけ感動要素。この回のMegalomaniaの入りかたは地味に好き。

<西部編>

戦闘シーンは少なく、街に攻めてくる敵グループに対し、街の皆で制限時間内に罠をしかけるシステムが面白かった。これもなかなかぶっ飛んだ発想。
一個の町だけで繰り広げられる話なのもコンパクトで良い。
たぶんマカロニウエスタンとかそこらへんのオマージュがあると思ったので、主人公の名前を「イーストウッド」にしたんだけど、モブキャラにしっかりと「クリント」が居たのは笑った。クリントとイーストウッドが会話してた。

<近未来編>

マップのデザインとか全体的なトーンとか、超能力の使える主人公って設定とかが何となく「Mother」を連想させたのは自分だけだろうか。
この回は割と戦闘多め。功夫編と同じく、ある程度王道RPGをなぞってる。
ただボス戦が肉弾戦ではなく、ロボット戦なのは度肝を抜かれた。ライブアライブで一番アツい回。

<原始編>

言葉のない時代という設定なので、ジェスチャーやイラストで意志を汲み取るのが最初は難しかったけど、ある程度理解できてからは気にならなくなった。
アイテムの合成システムはドラクエモンスターズみたいで楽しい。
原始時代の話なので、所謂強敵やボスキャラがマンモスや恐竜っていうのが面白い。確かにロボやドラゴンは出てこんわな。
この回にも、2001年宇宙の旅要素がある。黒い石板に「骨」を与えると骨が宙に舞い、「モノな石」が手に入る。要するにモノリスですね。どんなけ2001年~好きなんだ開発者。
ちなみに主人公の覚える「ドデゲスデン」は今作屈指の強ワザ。

<幕末編>

みんな大好き忍者。リメイク版のグラフィックが一番美しかったのが幕末編かなぁ。城の引きの画とかすごかった。
「0人斬り」か「100人斬り」かは迷ったけど、とりあえず「0人斬り」を選んだ。今作で唯一ステルス要素を感じられる回なので。
てか本篇はかなり攻略を見てしまった。これ前知識無しでは完全攻略無理よね。普通にクリアするだけならできるかも知れんけど。淀君とか坂本竜馬とか、実在の歴史上の人物が出てくるのも本篇のみ。
城の作りが本当に良く出来てて、あれだけ広い、入り組んだダンジョンを良く作れたなと。迷いまくった。一個の城ですべてが完結しているのも潔い。

<中世編>

7人それぞれが織り成す各編は、本当に別々のゲームを遊んでいるんじゃないかと思わせられるほどに個性的。戦闘がほとんどないSF編、マップ移動が全くない現代編、それぞれの回をプレイし最後にたどり着く中世編は、それまでとは打って変わり、王道RPGのど真ん中を行く回になっている。
(と、思っていた…)
中世ヨーロッパの世界観、剣士風の勇者、魔王にさらわれる姫君、剣と魔法の世界。
変わり種をやりつつも、やはりそこはスクウェア、最後は真面目にRPGするのか。
きっと魔王を倒して姫様を救って、城に帰って大団円みたいな感じなんだろな、と思っていたら、後半から雲行きが怪しくなる。
そして最後のボス、エンディングは言わずもがな、衝撃的。ここは敢えて明記は避けようと思う。この記事を読んでくれている方は既プレイの方がほとんどだと思うので、どういうラストかは分かってると思うけど。
これだけ途中まで王道で攻めておいて、最後の最後でそのすべてを(良い意味で)裏切られるような展開。結局ライブアライブなのだったと思わせられる瞬間。

<最終編>

最後の最後となる最終編では、何の説明も無しにいきなり、今まで遊んだ各編の主人公から一人選ぶよう指示される。衝撃的なラストを迎えた中世編から矢継ぎ早に展開され、シナリオ選択画面に赤黒い炎が出現、さらにそれを選択した後はBGMも無くなるので、個人的にめちゃくちゃぞっとした。ゲームに誘われている感覚だった。
中世編の主人公以外を選ぶと、その主人公を軸とし、4人組パーティが組める。
今までの各編は、一時的に3,4人になる瞬間こそあったものの、基本的には単騎行動か2人組。
それが最後の最後で、これまた王道RPGのど真ん中を行く4人パーティとなるのである。
ただ最終編の舞台は中世編の世界のままとなり、各世界の主人公たちがこの世界に飛ばされ、集結するという設定。
出自や時代背景、見た目や技の構成など何もかもが統一感のないそれぞれの主人公が一堂に会し、最後のボスに立ち向かう。
まるで好きなゲームの主人公たちが一つのゲームに集まったようなワクワク。
なんというかライブアライブ全体を通してジョジョのようなものを感じた。
血の運命はもちろんないんだけど、各時代毎に異なる主人公という設定ね。
そして最終編は各部のジョジョが集結したかのような興奮があった。

<ライブアライブが描いた「RPG」>

遊んでみて思ったことが一つある。
これはクリア後、色んな解説動画や解説記事などを見て裏付けられたりもしたんだけど、ライブアライブは王道RPGに対するアンチテーゼ的な作品なのかな、と。
中世の世界観、剣と魔法、囚われの姫と魔王、そういった王道の流れを、あえて全否定するような本作品の構成。
今でこそ、「アンチRPG」的なRPG(Undertaleとか)は数多く出てきてるけど、それをこの1994年というRPG黎明期にやる勇気。
この記事を書く前に、総合プロデューサーである時田貴司さんのインタビュー動画を見てみたら、開発に際し特に上記のような意図は無いみたいだけど。 
ただ同時期にFF6やクロノトリガーが出ており、何か違うことをやらなきゃ、という思いはあったそう。
結果的に上記作品に挟まれ、セールス的に大ヒットとは行かなかったみたいだけど、確実に後世に残る唯一無二の作品にはなったと思う。

少し各編の話に戻るけど、これは最終編の途中で気づいたんだけど、オディオ、と言う名前、実は各編のボスも同じように「オディオ」に準ずる名前になっていたんだな。(尾手院王は思わず唸ってしまった)
主人公こそ最後に集結するものの、各編はあくまで独立した存在だと思っていたけど、最終編に繋がる伏線のようなものがしっかりと張られている。

ライブアライブの多様性を表す要素の一つとして、ラスボスまでたどり着いたとき、何とその場から立ち去る選択ができる。
また倒した後にも、とどめを刺さない選択肢もある。
これは、「ここから先はあなたの解釈に任せます」という開発側からの提示なのかなぁと。
その選択によって分岐するエンディングは、どんな結末であれ、自分(プレイヤー)の正義に従って選んだ道。そしてどの終わり方も間違いではないという解釈もできると思った。

「絶対的な悪」として描かれることが多いRPGのラスボスだけど、本作のラスボスは悲劇的な背景もあり、かなり感情移入したプレイヤーも多いと思う。
そしてプレイヤーが抱くであろう感情を理解するように、複数用意されたエンディング。
あなたの解釈でこの物語を終わらせてください、というゲーム側からの提示。

本作品がラスボスを通じて伝えたかったことは、「正義の反対はまた別の正義」という考え方なのではないかと思うと、「LIVE A LIVE」のロゴの一部が反転している意味も少しだけ分かった気になった。

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