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少年院を出て地元から単身埼玉へ

パッション物語パート1

『トラック運転手時代の悲劇』

僕は18歳で東北の少年院に送致され
20歳で卒院した後は地元に帰らず
埼玉の所沢でトラックの運転手をしてました。


そこの社員寮には夜中の2時になると
ネズミが出て僕が寝ているワンルームの
部屋の中をチューチューと走り回ります。


毎日15時間以上拘束されヘトヘトになって帰宅し

そんなネズミの出る部屋で生活してました。

お金がなくて朝は早く起きて自炊してました。

自炊と言ってもただ米を2号炊いて

それをタッパに詰めて

上に梅干しや缶詰や目玉焼きを

敷き詰めただけのもの......


それでも腹ペコになった

お腹を満たすには十分でした。


彼女も欲しかったですが
運転手をしていた頃は
それはそれはモテませんでした。


そんな時に限って

体重100キロはあるだろうと思われる

ふくよかな女性から告白されました


配達先の弁当屋さんの店員でした。


お断りする勇気を固めるのに

1週間かかったのを記憶してます



昔から嫌だった天パが悪いのかなって思い

縮毛矯正をかけてサランヘヨ〜にしたり

カッコつけてハット帽とかかぶったり

でも、それも似合いません。


自分の生き方、考え方、目標、夢、

完全にぶれていた時代です。


安い賃金

ネズミが出る社員寮

奴隷のように働く15時間時以上の労働



20歳で少年院を出て

逃げるように地元を飛び出し


埼玉で単身運転手を続け

真面目に働くことはできても

自分の感情を押し殺す毎日。


『このままロボットのように
自分の感情が麻痺していくのかな...』


そうやって自分らしさを
次第に失われていく日々に恐怖を感じていました



そんなある日

溜まりに溜まった感情が爆発しました


『このまま雇われの延長には自分の理想はない』

って


そう思った瞬間に僕は運送会社に

辞表を出していました



あれから20年です



僕は今、高齢者の在宅ケアを行う
高齢者向けの福祉ビジネスを運営してます。今年で15年です



起業するなら直接感謝されて

社会性があって

将来性があって

自分も成長できて

そんな都合のいいビジネスあるのかな?

って思っていましたが

今の僕の妻のように引き寄せたんです



いかがですか?

あなたも僕みたいな人生を真剣に考えた時は

あるでしょう


必ずしも夢や目標が人生に
必要だとは思いませんが


自分が自分らしく入れて
それを堂々と貫ける人生
そんな人生を送りたいじゃありませんか


たばこをやめるのも

ダイエットを始めるのも

一念発起は早い方がいいです


資格、経験、知識、資金、

僕もありませんでした。

必要ないんです

田舎でも、想いがあれば、誰でも簡単に

起業することができます


きっと業界でここまで

公開してるのは僕だけだと思います

全力でメッセージを込めました。

期間限定配信ですがぜひ↓

それでは次回も僕の拙い
パッション物語をお聞きください。


トラック運転手を辞めた後のバカパッション珍道中をお伝えします。



追伸


悲劇って遠くから見ると喜劇ですよね

パッション!

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