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グリーフケアの現場

先日、緊急事態宣言中お休みしていたグリーフケアの場が再開しました。

こういう状況で足を運んでくださったのは、1月下旬に奥様を癌で亡くされた70代の男性。
昨年10月癌が見つかり、末期の宣告を受けてから、自宅で看病を続けていらっしゃいました。

葬儀、もろもろの事が済んで、奥様の事が頭を離れず眠れない日々が続いているとのこと。「不眠が辛い」と男性。

胸を締め付けている原因。
1.食べられないでいた奥様に、「食べろ、食べろ」と強制的に食べさせて  いた。そしたら、亡くなった時、消化できない食物が胃に残っていた。また、末期で食事をしても、栄養は癌細胞にいってしまうと後から聞いた。

2.自宅で看病していたのに、倒れた時に訪問診療をしている系列の病院に入院させてしまった。自宅で看取ることが希望だったのにできなかった。

3.子供たちは、私の悲しみを理解していない。


お正月は、お子さん、お孫さんにも会うことができ、本人の故郷の兄弟もお見舞いにやってきて会うことができたとのことでした。
「お父さんを私が看取ると思っていたのに」と奥様は仰っていたそうです。

今、いけないと思っていても、ペットの犬にあたってしまう事があると。犬が妻を探す。わざとかそそう(おしっこ)をする。

散歩に行ったとき、誰もいないのを確認して大きな声で、
「おかあさん~」と叫ぶ。

「おかえり」の言葉がない。「頂きます」の言葉がない。癌で自宅の病床に居た時も、「おかえり」の言葉があった。「おとうさん、おとうさん」と私を呼んでくれた。


ペットの犬も飼い主を亡くしたことを受け入れられずにいます。その男性と一緒に。
「私はこれからどうしたらいいんでしょうか。妻が亡くなってこんなに辛い思いをするとは・・・」

訪問看護師の人が、「〇〇さんは、家で看取ったのと同じよ」と言ってくれるが、慰めにならない。

看護を辛いと思ったことはなかった。何一つ嫌じゃなかった。でも、今は。


私は、何も言葉を掛けられず、ただただ、その方のお話を聴いておりました。でも、話をしたことで、その男性が何に憤りを感じているのかが整理できた感じが見て取れました。

その方が、一つ、私の言葉でハッと気づきを促したものがありました。
それは、母を亡くした子供たちと自分の悲しみを比べる必要はない、というものでした。

大切な家族を亡くしても、配偶者、親子、親子でも独立して自分の家庭を持った人と独身者では、そして、それぞれの関わりの中で、死の悼みは違います。
成人したお子様でも母親の死は辛いものです。親子であるからこそ、近すぎて、その悼みを共有できない場合もあります。どちらの悲しみが深いか、なんて関係ありませんし、お子様はお子様で辛いのです。

とても素直で正直な方なのですね。私は、ちょっと申し訳なく思ったのですが、妻を亡くした夫の顔が、一瞬、子供を思う父親の顔になったような気がしました。

でも、こらからもしばらくは、妻を亡くした夫の立場である自分と対峙しながら生活が続くのでしょう。
そうして、そのうち、奥様の死がその方に与えて下さった新たな物語を綴っていくようになる時がくるのだと思います。



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