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中村天風先生 一日一話

8月20日 霊性心

 霊性心は、われわれ人類の精神のみに特有された極めて優秀性を有する最高級のものである。普通人には容易に発現し得ないといわれる、かの霊感とか霊智とかいうような特殊のものは、いずれもこの心から発露するものなので、いわゆる神秘的な偉大な思索や、崇高な思想というようなものは、一切この心を本源として形成されるものなのである。
 が遺憾ながら、この心の働きや力に対しては、あまりにも知らなさ過ぎるくらい無理解な人が多い。

8月21日 本能心の統御

 真に恵まれた人生に活きるためには、まず、肉体本位にのみ、わがままを振舞いがちな本能心を完全に統御することである。本能心さえ完全に統御ができれば、その他の理性心や霊性心の統御は比較的安易であるといってよい。
 しかも、本能心を正確に統御し得るものは、意志の力以外には絶対ない。人生を幸福にするのも、また不幸にするのも、詮じ詰めればこの本能心の統御の良不良という一事にかかっているのである。

8月22日 同情が礼儀ではない

 病気を心配している者、あるいは運命に泣いている者、恋に悩んでいる者がいると、そこに行って、理由のない相槌を打つことによって、何か人間としての、お互いの交わりに対する義務のようなものを感じる人がある。同情することが礼儀だと思っている人がいる。
 しかし、それはまったく毒汁を浴びせかけていることと同じなんですよ。
 本人の運命に対して、本当の真心から目を醒まさせてやる努力をする人こそ、尊い存在なんです。

8月23日 喜びの厳格な規格

 私の言う喜びは、そこに厳格な一つの規格があるのです。
 その規格というのは難しくも何ともないの。すべてのいなかる種類の享楽にせよ、それが絶対に他の人の幸福を妨げるものであってはいけないのであります。でないと、その享楽が悪になります。
 さらに、人を喜ばせて、自分がまた、その人とともに喜ぶということがいちばん尊いことなんだ。

8月24日 情味を物質に求めない

 真に活きがい(原文ママ)のある人生に活きようには、何としても、我々は、自分の人生生活の中の情味というものを味わうということを心掛けるべきである。否、厳格にいえば、この心がけを欠如した人の人生は、いかに地位ができようと、また仮に富を作り得たとしても、しょせんは、無意義で、空虚で、荒寥(こうりょう)たるものになる。
 多くの人の特にいけないことは、生活の中の情味ということを、物質方面にのみ求めることである。生活の中の情味というものを味わうというのは、心の問題なので、物質の問題ではないのである。

8月25日 「不断」と「ふだん」

 昔からの訓話に「行修は不断であれ」というのがある。この「不断」という文字は、日常のことを「ふだん」というのと同意儀に解釈すべきで、すなわち行修はすべからく日常の生活行為であるべしという意義に他ならずであります。

8月26日 心身統一法で増す力

 心身統一法によってその内容量をふやす力、第一が体力であります。第二が胆力。第三が判断力。第四番目が断行力。第五番目が精力。第六番目が能力。この六つの力が生命の中にその内容量を豊富にしていないかぎりは、どんなことをしても完全健康と完全運命を自分の人生のものにすることはできないのであります。
 たとえ懐に一文なくとも、これだけの六つの力が自分の生命のなかに内容量豊かになれば、人生はこれさながら天馬空であります。

8月27日 得意の時にこそ

 人生に、最も注意すべきことは、得意の時にひとしお心の備えを緩めぬよう、心がけることである。

さちはるコメント

 23日の「喜びの厳格な規格」は、とっても腑に落ちるものです。他人の幸福を妨げるような喜びはあってはいけない、その通り。他人を蹴落とし、または、匿名で誹謗中傷するようなことで、溜飲をさげ気持ちよくなっている人は、その享楽が悪になると説いています。

 オリンピック開催云々は別にして、アスリートの頑張りを見て、共に喜び、また、パラリンピックのパラアスリートを見て、生きる力を感じ、涙する自分がいます。彼ら彼女らは、視聴者や関係者を喜ばせ、そして、共に喜ぶ一番尊い喜びを享受しています。
 開催者側は、アスリートに助けられていますが、オリンピック、パラリンピック開催後、しっかりと今回の事を検証して、何が良くて、何が悪かったか、商業ベースのオリンピックから少しでもアスリートファーストになる大会のあり方を再構築していっていただきたいと思います。

 と、最後は、違う話になって申し訳ございません。


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