煮込みしか無い~

「すみません、レモンサワーと、じゃあ…レバとカシラと…」
「あーレバもう終わってますねー」
「…そうっすか。ハツはありますか?」
「焼き物だいたい終わっちゃったんすよねーあとは煮込みとか」

もつ焼き屋をよく訪れる人ならば、一再ならず経験したことのあるやりとりではないだろうか。

もつ煮込みだって、もちろんおいしい。おおいに結構。後ほどいただくつもりでした。はい、では今いただきましょう。
しかし、本当のことを言えば、今私が求めていたものはそれではなかったのだ。まだ、煮込みの気分にチューンされていなかったのだ。
うううむ。


僕は今まで、エッセイ、小説、詩歌、コントや漫才、あるいは他の何らかの形で、この「がっかりあるある」を「言った」表現に、出会ったことがなかったように思う。

いわんや、音楽で、だ。


譜面を読める方は、ぜひ声に出して歌ってみてほしい。

「煮込みしか、無い。」
その小さくて大きながっかりを、今までいったい誰が、ここまで的確に、簡潔に、ありありと表現し得ただろうか。

「煮込みしか、無い。」
この言葉だけで、もう十分に「詩」だ。言葉単独でも多分に醸し出される情緒がある。
それが、このメロディに乗り、しかも、トロンボーンとユニゾン(※)するおっさん(失礼)の歌声で発せられた途端、さらに何倍もの情緒に化けた(言葉と旋律と音色の相乗効果、これぞ歌曲の「甲斐」だ!)。
例えば三木鶏郎や、クレイジーキャッツ、ドリフターズの諸作、あるいは嘉門達夫「鼻から牛乳」などと並ぶ、口ずさまれ続けるキラーフレーズの誕生である。


これは、WUJA BIN BIN 「Duke's Paradise (NARI ver.)」の一節である。
歌詞カードも前後の脈絡もないため、客観的事実としてはあくまで「そう聞こえる」だけだが、僕は「そう歌っている」と言って間違いないように思う。

WUJA BIN BINは、多くの管楽器を擁するインストバンドである。
(やっているのは、非常にざっくりと言えば、エルメート・パスコアールのような音楽だ。)
ヴォーカリストも参加しているが、歌唱は全てスキャット(パパパー、ラララー)であり、リードシンガーとしてフィーチャーされる場面はあまりない(声も、いわばひとつの楽器のように用いられている)。
歌詞(らしきもの)、日本語(らしきもの)が登場するのは、唯一この曲の、この箇所だけだ。

この曲は、WUJA BIN BINの2ndアルバム『INAKA JAZZ』に収録されている「Duke's Paradise」の別バージョンで、同アルバムの購入特典として一部店舗で配布されたCD-Rでのみ、聴くことができるもののようだ。(…なんともったいない!!)
「NARI ver.」の「NARI」とは、サックス奏者の(SCAFUL KINGの!)NARIさんのことで、要するにこのトラックは「ふだん歌わない人がふざけて歌ったセルフパロディ」である(オリジナルバージョンのこの箇所は、ヴォーカリストが「パパパー」で歌っている)。
「NARI ver.」でも、「煮込み~」以外の部分は、スキャット的に歌われている。
想像でしかないが、リハーサル中やレコーディングの合間に出た冗談があまりに面白いので、これもレコーディングしよう、となったか、あるいは、NARIさんが歌いながら、即興でここに詞をのせたのだろう。
いずれにしても、ケイタさん(WUJA BIN BINのリーダーで、全曲の作曲を手がける)が「計画的に」書いた歌詞ではないはずだ。
にもかかわらず、この旋律と歌詞のハマりようである。


// ※以下、音楽をお好きな方向けの話となります。ココカラ↓ //

さらに言えば、このフレーズが置かれた「位置」も、脱力感の効果をいっそう高めている。
先ほどの譜面では音高のみを示したが、実際の譜割りは、このようになっている。

13人編成による複雑なハーモニーとめまぐるしい展開がひと段落し、打楽器のみとなったところに、これだ。

また、先ほど「トロンボーンとユニゾン(※)」と書いたが、正確に言えば、歌が「曖昧に先行する」。
便宜的に記すと、以下のような具合だ。

上段がトロンボーン、下段が歌だ。
そう。元々の旋律に対して詞が「1音足りていない」のである(!)。
このことが、脱力感に拍車をかけている。
その効果は絶大で、一周回って意図的なもののようにすら思えてくる。

// ※ややこしい話、ココマデ↑ //


にーこーみーしーかーなーいーーー

ならばと席を立ち店を変えるほどに、重大なことではない。明日に持ち越すような遺恨になどなり得ない、ささやかなことだ。

にーこーみーしーかーなーいーーー

しかし、いま私は、串が、食べたかった。食べたかったのだ。串。く、し……。


今後もつ焼き屋で、冒頭のようなシチュエーションが訪れるたびに、僕の頭の中ではこのフレーズが自動的に再生されるだろう。
(それが二軒目、三軒目で、すでにいい気分だった場合、口をついて出てしまうかもしれない。)

「Duke's Paradise (NARI ver.)」は、購入特典にとどめることなく、一般に流通あるいは公開されるべき作品だと思う。


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