祖母の俳句

祖母の90歳のお祝いに、私家版のミニ句集を編んで、プレゼントした。


祖母は、自分の考えや感情をあまり表に出すタイプではない。
というより、あまり何かに思い入れたり、考え込んだり、“文学的な”感慨を持つことが、ない人なのだと思っていた。
本も読むし映画も見るが、わかりやすい娯楽作品でないと喜ばない。
旅行や外出が好きだが、美術館や演奏会に行ったという話は聞いたことがない。
祖母が俳句をやっていたことは知っていたが、きっと俳句を作ることや句会そのものではなく、お友達と出かけたり話したりすることが楽しいのだろうと、母(かつて詩を書いていた)も僕も考えていた(それはまあ、その通りだったんだと思う)。

なので、祖母が作った句を見せてもらって、驚いた。
祖母の俳句には、今まで(僕は生まれてからつい昨年まで祖母と一緒に住んでいたのだが)感じたことのなかった、祖母の感情の起伏や、万物への私的・詩的な視点が、ストレートにアウトプットされていた。
そして、(失礼だが)意外と上手い。


おそらく元々俳句に興味があったわけではなく、近所のカルチャースクールで開講されている講座の中で手を出しやすそうなものが、俳句だったのだと思う。
たまたまその講座を指導していたのが、平井照敏だった。
氏の講座がなくなった後、せっかく何年も俳句に触れたのだからと、他の場所で続けることを考えた際、たまたまお友達の紹介で訪れた(おそらく私塾的な)句会の先生が、八田木枯だった。
祖母はそれまで、二人の名前も知らなかったと思う。なんという強運だろうか(出会った順序も含め)。
本人は「木枯先生の俳句は難しくてねえ」などと言っていたけれど、たまたま出会っていたのが例えばホトトギス系の先生だったなら、

 帽子好き今日新しき夏帽子

のような句は、きっと作れなかっただろう。

 薫風や女の寿命又のびる
 時々は薬忘れる若葉風
 水羊羹人それぞれの余生かな

祖母の句には、老いについて詠んだものが多く、「余生」という強い言葉がしばしば登場する。
しかし、あまり悲壮感はなく、どこかあっけらかんとしている。
(老いをモチーフにした一句が句会で選を集めたか、先生に褒められたかで、味をしめてその後乱発しているだけのような気もする…。そういう調子の良さもまた祖母らしい。)

孫として怯むのは、死や老いへの意識よりもむしろ、色濃く漂う女性性の方だ。

 余生なほ燃ゆるものあり返り花
 桃たべしあとザクザクと顔あらふ
 花に逢ふために口紅ひきにけり
 受話器置きひとりにもどる炬燵かな

4句目は、作者を知る限り色恋のことではないはず…なのだが、句だけを見るとそのようにしか読めない。
そう思って見てみると、

 枯野ゆく忘れたきこと持ちしまま
 はじめから願ひは一つ初詣

といった句も、ガーリィに思えてくる。


祖母はずっと、「恥ずかしいから」と言って、僕にも母にも自作句を見せてくれなかった。
それは、彼女が僕と母に対して“文学的素養”のコンプレックスを感じている、という意味だと解釈していた(我々も少々侮っていた)。
そうではなかった。
俳句自体は、立派に「作品」だった。
祖母は、親族に対して、「私」を隠したかったのだ。
そう思うと、いま、作品を見せてくれたというそのことに、彼女の「老い」を感じて、何とも言えない気分になる。


  捩れつつ天に真直ぐ捩り花  酒井東子



付記:

食べ物の句もとても多い。

 秋冥や松坂牛のありてこそ
 饅頭の皮柔らかき小春かな

…ご存知の方はここまで読んでお気づきかと思うが、モチーフといいテイストといい、妻の句とよく似ているのだ。
男児は母に似た相手を選ぶとよく言うが、僕は無意識のうちに、祖母に似た人をパートナーに選んでいたのかもしれない。


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