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竹槍訓練の先にあるもの

意味があるんでしょうか

「今日もあれをやるのか。なんでこんなことになっちゃったんだろう」
目が覚めた綾子は、布団の中から天井を見上げてつぶやいた。

まだ外は薄暗い。国民学校の始業時間は8時だけど例の訓練が早朝にあるから、6時には家を出ないといけない。

「まだ眠いなあ」そう呟きながら彼女は、昨夜遅くまで勉強していて父親に叱られたのを思い出しつつゆっくりと布団から抜け出た。

「なんでこんなことになっちゃったのか」綾子は再びつぶやく。竹槍教練が本当に嫌なのだ。

 彼女は以前は先生方をとても尊敬していた。自分の知らない知識を持っていて、それをわかりやすく教えて下さるし、そういう話をしている時の先生方は目を輝かせて生き生きとしていた。
自然と自分も好奇心にあふれる世界に入って行ける気がしたのだ。

 ところが、最近はそれがすっかり変わってしまった。すべては戦争が原因なのはわかっている。先生方は何だか別人のようになってしまった。

 たとえば理科の山口先生は、いつも口癖のように「いずれ科学によってこの世界の秘密がすべて解明されるだろう。そのために必要なことは論理的な思考だ。それを君たちも身に着けるのだ」と言ってみえた。

 だけどその山口先生が今は「綾子、竹槍訓練は重要だぞ。これで国を守ることができるはずだ」と言っている。

「飛んで来る戦闘機に竹槍なんて無意味なのは誰が考えてもわかるし、もし敵兵が上陸して来たら、本気でこれで機関銃を持っている敵兵や戦車と戦えというのかしら」
彼女はそう思うのだが、とてもそんなことは聞けない。

だから訓練に参加するのがとても馬鹿らしく、やっていてもとても本気にはなれない。つい別のことを考えてしまっていたりする。

 先週の金曜日の訓練のときに、ぼーっとしていたら田沼先生に叱られてしまった。

「山田さん。あなた気持ちが入っていないわね。そんなことじゃあ駄目よ。見なさい。皆本気でやっているでしょう。こうやって気合を入れてやるの。はあっ!」
 それを見ていた綾子は、あまりに馬鹿馬鹿しくて不覚にも噴き出してしまったのだ。
田沼先生が激怒したのは言うまでもない。

綾子は職員室へ連れていかれた。そこで田沼先生を含めて3人の先生から綾子は説教を受けた。

「あなたはこの訓練の重要性がわかっていないようね。皆誰一人あなたみたいにふざけている人はいないのよ。あなたみたいな人がいると本当にまわりで一生懸命やっている人に迷惑なのよ」
田沼先生は怒りが収まらない。
「黙っていないで、何とか言いなさい」
「でも…、この訓練には意味があるんでしょうか」
「何言っている。不謹慎だぞ」別の教師が大きな声を出した。
「国を守ろうという気概が足りん」
綾子は殴られるかと思ったが、さすがに鉄拳は飛んでこなかった。

「いや、でも…、竹槍じゃなくて何かもっと科学的に有効な武器を作ったりするアイディアを出したりした方がいいんじゃないでしょうか」
この言葉が、3人の教師をより怒らせてしまったようである。
「馬鹿か。そんなことはお前が考えることじゃない」
「本当にあなたは。保護者の方にも今日のことは報告しますからね」
「なあ綾子。お前新聞を読めよ」
「新聞にも竹槍訓練は今一番大事な事だと大きく出ていたじゃないか」
「まわりの人に迷惑をかけないためにはどうすればいいかっていう事をもっとしっかり考えないと駄目だ」
「はい…」

先週そんなことがあったので、綾子は、今日学校へ行くのが嫌だったのだ。

ではどうして病気は広がるばかりなのでしょうか

「今日もこれを着けるのか。なんでこんなことになっちゃったんだろう」
目が覚めた綾は、ベッドの中から天井を見上げてつぶやいた。

まだ外は薄暗い。学校の始業時間は8時だけど、校門で例のチェックが早朝にあるから6時半には家を出ないといけない。マスクをきちんと着用しているかどうか、正しいものを着けているかどうか等チェックは念入りに行われる。彼女の学校は厳しいのだ。

「まだ眠いなあ」そう呟きながら彼女は、昨夜遅くまで動画を見ていて父親に叱られたのを思い出しつつゆっくりとベッドから降りた。

「なんでこんなことになっちゃったのか」綾は再びつぶやく。マスクをつけて学校に行くのが本当に嫌なのである。

 綾は子どもの頃から喘息気味だった。今はほぼ治っているのだが、以前の苦しかった思い出がマスクをしていると脳裏によぎったりする。そんなこともあってかなり抵抗感があった。
 ちなみに喘息以外ではずっと風邪一つひいたことはない。

 彼女は以前は先生方をとても尊敬していた。自分の知らない知識を持っていて、それをわかりやすく教えて下さるし、そういう話をしている時の先生方は目を輝かせて生き生きとしていた。
自然と自分も好奇心にあふれる世界に入っていける気がしたのだ。

 ところが、最近はそれがなんだか変わってしまった。すべてはこの騒動が原因なのはわかっているが、先生方が何だか別人になってしまったように彼女は感じ始めていた。

 たとえば理科の山城先生は、いつも口癖のように「科学によってこの世界の秘密がすべて解明されつつある。論理的な思考こそが人間にとって科学の進歩にとって重要なものだ。それを君たちも身に着けるのだ」と言ってみえた。

 だけどその山城先生が今は「綾、マスクは本当に重要だぞ。これさえつけていれば病気にはならないからな」とずっと言っている。そして「予防接種も大事だ。皆が安心できる世の中になるためには一致協力せんとな」と言う。

「2年間みんなマスクしているけど病気は全然終わらないし、病気になった人は全員マスクしてたんだから、実際これ役に立ってないよね」
「毎日先生に説教されてるノーマスクの谷山君、もう1年にもなるけど全然病気にならないみたいだし」
「予防接種って病気になっても重くならないためのものだから、他の人とは全然関係ない気がするんだけど・・・」
彼女は素朴にそう思うのだが、とてもそんなことは言えない。何か綾の知らない難しい理屈があるのかも知れないからだ。

 教室の授業の時はまだいいのだが、外で運動する時も着けているのがつらい。一応「苦しくなったら外していいんだ。そう言えよ」と形では言うが、外していると実際は注意される。まわりはそういうやり取りが面倒くさくて結局外さなくなった生徒ばかりだ。
この前もランニングでE組の子が一人倒れていた。
「あの子、大丈夫だったかしら」

 先週の金曜日の高根山登山の時には、苦しくなってぼーっとしていたら田崎先生に叱られてしまった。
あまりに馬鹿馬鹿しくて、つい口答えをしてしまったのだ。
「先生、これって何かの罰ゲームですかね」
「苦しいんでこれ外しちゃあダメですか」
「我慢しなさい。まわりの迷惑も考えなさい」

「先生、ウイルスの大きさがパチンコ玉だとするとマスクの網目ってどれくらいか知ってます?サッカーのゴールの網目くらいだそうですよ」
「山田さん。あなたまた変なサイトを見て間違った情報を広めているのね。そんな馬鹿な事を言っていると今時恥ずかしいわよ」

 綾は、その後田崎先生を含めた3人の先生に説教をされた。
「皆誰一人あなたみたいな間違ったことを他人に広めている人はいません。あなたみたいな人がいるとまわりは本当に迷惑なの」
「黙っていないで、何とか言いなさい」
「でも、私たち毎日マスクしているけど、A組でもC組でも病気になった人が何人もいますよね。どうしてですか?」
「何言っている。それと関係ないだろう」別の教師が大きな声を出した。
「何をやっても病気になる人は出るに決まっている」
「いやでも、科学的に効果があるかどうかについて、先生たちは疑問に思わないんですか?」
「効果があるに決まっている」
「テレビでもマスクを着ければ感染はほぼ防げるって大学の教授が口をそろえて言っているじゃないか」
「テレビや科学者が嘘を言うはずがないわよ」
「それにお前、クラスでお前だけだぞ。予防接種やってないのは。本当に困るんだよ。もっとまわりのことを考えるようにしなさい」

そんなことが先週あって彼女は、今日は学校へ行くのが嫌だったのだ。

悪かったのは誰?

 綾子たちは竹槍訓練を毎日していたが、もちろんそんなことは戦況には全く関係がなく、ついに敗戦の日を迎えた。

 それからまもなく戦犯の処罰が発表された。
「彼らのせいでオレたちはあんな目にあったのだから当然の報いだ」そんな風に言う人も少なくなかった。
 新聞は彼らのことを日々報道していた。ただ戦前とは言うことが180度違っていた。新聞もまた彼らを糾弾した。

 「それにしても、なぜあの時政府はあんな非科学的な事を言うようになったのだろうか」綾子はそれがずっと不思議だった。
「戦争に勝つ気がなかったのかしら」
それが何となく気になっていた。

 時は流れてテレビが普及する時代になった。
綾子も日々番組を楽しんで見るようになった。もう綾子には孫が3人もいる。戦争の頃を思えば今は何もかも天国のようだなと思う。

 その日はちょうど終戦の日で、テレビでは盛んに特別番組をやっていた。何気なくその番組を見ていると、コメンテーターの一人がこう言っていた。
「当時は政府が暴走して国民を騙していたようなものでした。その前に誰か止められなかったのでしょうか」

 それを見ていて綾子は当時のことを思い出した。
「確かにみんな魔法にかかったようになっていたわね」
「おかしなことなのに誰も異議を唱えなかったわ」
「でも竹槍訓練をするように一番煽っていたのは、あなたたちマスコミじゃないの?」
「その責任はないの?」
彼女は、そう心の中でつぶやいた。

みんな知っているの?

 綾は今日も、全乗客がマスクを着けている満員バスに乗り学校へ向かっていた。
「そう言えば昨日見た動画で、公共交通機関は満員でも病気の原因の検査をしないって言っていたわ。止まると困るから検査しないって言っていたけど、それも変な話よね」
そんなことを一人頭の中で考えながら、流れる窓の外の景色を見ていた。

 友人の玲菜が、亀有公園のバス停から乗って来た。
「おはよう」
「ああ。おはよう綾」
「金曜日叱られてたでしょ。ああいうときは黙っていればいいのに綾は余計なこと言うから」
「でも、おかしいでしょ。先生たちみんな」
「綾は正義感強いものね」
「この騒動まだまだ続くみたいよ。ネットでやってた」
「何でそんなことがわかるの?」
「綾は情弱ね。この騒動に仕掛け人がいるなんて事、今時誰でも知っているわよ」

まわりの人には迷惑をかけないようにしましょう。

「お前がよくやってくれたから、スムーズに占領ができた。礼を言わねばならない」
「ありがとうございます」
「しかし竹槍訓練とは恐れ入ったな」
「実に名案かと。国民は『あんな馬鹿な事をやらせた愚かな政府』って事で、怒りをこれからずっと奴らに向けますからね」
「だけどマスメディアを使えば、連中あんな馬鹿なことでも皆一生懸命やるんだな。驚いたよ」
「誰かに判断を委ねて自分の頭では考えることをしないっていう国民性もありますが、この国には皆が信じて止まないいい言葉があるんです。それでイチコロですよ」
「それはどんな言葉だ」

「『まわりの人には迷惑をかけないようにしましょう』です」

「この先も何か事がある度にこのセリフを上手く使えば、彼らを誘導することなどいとも簡単にできますよ。マスメディアもよくやってくれますし。どうかお任せください」

「そうか、頼もしいな」
















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