年の瀬

年が明け、綿飴の匂いを嗅ぎながら境内の行列に並ぶ。
12月、本当に師が走っていた。電池が切れたように眠る日々。化石と化しているチンスタグラムを開けば中学の頃の野球仲間は豊胸してオネエになっているではないか。令和だもんな、そんなこともあるよな。よくある話だ。文明の力は全くいらないことまで教えてくれる。
地の元に還り人と会話でもすれば忘れていた話が洪水のように溢れ溺れてしまう。全然違う土地で悠々と暮らしていても地の元では兵庫と大阪のハーフであることを再認識させられる。環状線から見える高架下の落書きを目にしてそんな街にもいつかは暮らしてみたいと思ったりする。
久しぶりにガキん坊の頃聞いていたミュージックを聴す。名はtacicaというバンドである。とにかく染み渡る。これがゼロ年代のロックミュージックといったやつか。アリゲーターだ、ヌーの休日だ、HEROだ、黄色いカラスだ、、どれもこれもとにかく沁みる。古くなったフォーマットかもしれないが、これがよい。これが私には心地よい。人格が破綻していたガキん坊の自分もグッドミュージックを好んで聞いていたみたいでゼロコンマだけ誇らしくなる。最高ではないか。
tacicaを好んで聴いていた頃からとんでもない時間が経過していた。もうプロ野球にも漫才師にも何者にもなれない年齢を迎え、到底捨てることのできない安定に吸い付くだけの日々である。それも悪くはないが、グッドミュージックに触れるとどうしようもなくダサいロックバンドでもやってみたい気持ちになる。
そうこう頭を巡らせていると特急が停車した。またイタイイタイ文章を書き殴ってしまった。

年末年始はpaioniaの名曲が刺さる。この冬も年の瀬があった。
paionia/人の瀬

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