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『14歳からの非戦入門』を読んで

「本書は、近年とくに顕わになった『安全保障化』と、日本人の大半が気づいていない『緩衝国家(Buffer Stateバッファーステート)』という2つのキーワードを軸に、世界と日本の危機をどう克服するかのヒントを提示したいと思い、急きょ書き上げたものである。」と書籍ジャケットの袖に記載されています。これは、「はじめに」の最終段落に記述されている文章です。

また、著者である伊勢崎賢治氏のXには、上梓の趣旨が次のとおりツイートされています。

現在進行する二つの大きな戦争(ウクライナ、ガザ)で犠牲となっている市民の命を一人でも多く救うために、どう停戦交渉を実現させるか。実務家として考えうる具体的な戦略と共に、日本だからできる貢献を提案しました。

同時に、この二つの戦争で、あらためて脚光を浴びることになった戦争犯罪、ジェノサイド、そして、それらを法治する国際人道法を主軸とする国際法規において、日本人だけが陥る”灯台下暗し”的な状況について解析し、その是正策を提案しました。

最後に、この二つの戦争の趨勢を決めるアメリカという存在を、どの国より体内に内包し、かつ、その仮想敵国であるロシア、中国の目の前に位置する”緩衝国家”日本として、ウクライナのように国土が戦場になることをいかに回避するか。安全保障論としての「非戦」の戦略を提示しました。

伊勢崎賢治氏のXより

これまで伊勢崎氏の著書を拝読し講演を拝聴した経験の中から、氏は「市民の命」に差別なく徹底的に寄り添う方なのであろうと感じています。つまり、著者が提唱されている「非戦」とは決してきれいごとではなく、市民の犠牲をいかに防ぐかという観点から導き出されたきわめて合理的かつ現実的な戦略なのだろうと思っているのです。

そして、その戦略は、「おわりに」で述べられている著者のファミリー・ヒストリー(サイパンにおける伊勢崎家の戦争体験)によって育まれた人柄から導き出された当然の帰結と言えるものなのだろうとも思っています。

同調圧力と「死の忖度」---戦争にはこれがつきものだ。民主主義国家がやる戦争であろうと、独裁主義国家がやる戦争であろうと必ず起きる。一方的な情報を信じ込まされ、自ら死を選ぶところまで行ってしまう。戦争に市民を動員するために必要なのが「悪魔化」だ。当時は鬼畜米英だったが、今はロシアと中国か。

本文P.220

バンザイ・クリフなどでの「死の忖度」をも含めたコラテラル・ダメージ(巻き添え被害)としての犠牲ばかりではなく、あろうことか市民がメイン・ターゲットとされている【ガザ・ジェノサイド】に至るまで、「市民の命」は徹底的に軽んじられています。そんな市民に差別なく心を寄せているからこそ、一刻も早く停戦させなければと願い、また、決して新たな戦争(特に「”緩衝国家”日本」がその国土を戦場とする戦争)を起こさせてはならないと考えているのだろうと思うのです。

著者は様々な紛争の現場で、西側に軸足を置きながらも、常に、敵味方関係なく市民の犠牲を減らす努力をされてきました。軍服でもなく背広でもない立場で。これほど数多くの紛争現場で市民に寄り添い続けている人は、日本は勿論世界中を探しても、他にあまりいないのではないでしょうか。著者は、親露でも親米でもなく、市民の味方なのだと言えるでしょう。だからこそ次のように叫ぶのです。

「勝利する」という同調圧力の熱狂の結果、日本はどういう末路を迎えたか。
末路を現実視することは、決して愛国心の敗北ではないということを、ウクライナの人々に訴えるのはわれわれ日本人の責務ではないのか。

p.92

いつまでも戦争を引き延ばされた挙句に、生活の場を爆撃され原爆まで落とされて数多くの市民が犠牲になった日本の市民だからこそ、今まさに犠牲になっている市民に寄り添わなければならないという主張は、誰にも否定し得ない至極まっとうなことであるはずです。

繰り返すが、日本の戦争をめぐる言説空間は、”いきなりはじめて”を唯一の必要要件とする「専守防衛」という憲法論議で生まれた特有の考え方に支配されてきた。とくにウクライナ戦争においては、これが保守改憲派、リベラル護憲派の双方を「安全保障化」し、開戦に至る背景の分析を阻止し、停戦のための世論形成を拒んできた。
【ガザ・ジェノサイド】においても、それ以前から連綿と続くイスラエルによる一方的な武力侵攻の中で起きた「奇襲反撃」であるはずのハマスの行為を、”いきなりはじめて”の「テロ」と印象操作し、イスラエルの非道徳性を訴える論調でも、ハマスによる「テロ」への糾弾を前置きにする傾向を生み出している。
(中略)
私のロビー活動は、あくまで、どんな理由があれ戦争を選択する指導者たち、並びに戦争回避のための外交を怠り「安全保障化」に走る指導者たちを戒める事を目的にしている。そして、安全地帯から戦争の継続を推進する取り巻き勢力、とくに日本の指導者とその国民に向けたものである。

p.106

「市民の命を一人でも多く救う」ためには、決して戦争を起こさせてはならない。また、不幸にも戦争が勃発してしまったら(ましてやジェノサイドが行われてしまったら)一刻も早く停止させる。それに尽きるのではないでしょうか。

著者は、開戦法規と交戦法規の解説を通じて、「どんな理由があれ戦争を選択する指導者たち」が市民に犠牲を強いる戦争そのものに対する怒りを表明されているのではないかと感じました。

そして著者は、戦争犯罪やジェノサイドを法治しようとする議論さえない「無法国家」日本の非常識を憂い、本丸である日米関係に論を進めます。

論語に孔子が「知らしむべからず」と言うとおり、全ての人にすべてを知らせることなどできません。となれば、いかに本質部分を伝えて大勢の納得と合意を得るかが重要となるでしょう。著者はある時、アルジャジーラによる10.7の特集動画をXでツイートしました。それが、こちら"October 7"です。

けれども本書の中では一切そこに触れていません。様々な情報がある中で、「14歳」でも理解し納得できるようにと、情報を厳選して解説する著者の配慮を感じます。

さて、本丸の日米関係ですが、日米安保条約に紐づいた日米地位協定にはじまり、米軍が中心となって組織している朝鮮国連軍に参加する国々と日本との間で結ばれた朝鮮国連軍地位協定の話が展開されます。その前提として、まずはアメリカによる世界の分断について。

アメリカがこの四半世紀にわたって世界を迷走させた。"Which side are you on?(どっちの味方だ?)"(中略)
まず、2001年9.11同時多発テロ後のアフガン開戦で、タリバンに勝利した直後のブッシュ大統領が国際社会に迫った「アメリカの側につくのか。それともテロリストの側か?」。これは、グローバル対テロ戦の開戦宣言だ。北朝鮮、イランを含む3か国以外、中東をはじめとするイスラム教国を含むほとんどすべての国がアメリカの側についたので、この分断にアメリカは成功を収めた。

P.162

分断Ver.1の敗北が濃厚になったころから、バイデン政権は中国に照準を合わせ始める。それがQUAD・日米豪印戦略対話(軍事同盟)やIPEF・インド太平洋枠組み(経済連携)であり、中国包囲網を仕掛け、「中国の側につくか、我々の側につくのか」とせまる。これがVer.2である
そして、ロシアによるウクライナ侵攻。
(中略)
しかし、分断Ver.1に比べると、明らかにアメリカに有利な世界の分断は失敗し、「欧米vsその他全世界」の新たな分断が現在進行中である。

P.163

ウクライナの反転攻勢の長期化が顕著になるにつれ、自由と民主主義を守るための聖戦と言う言論空間が、当のアメリカ国内で疲弊している現状を鑑みるとアメリカはまた新たな分断の標的を探し始めるだろうと私は予測していた。そこで、「分断Ver.3」を未来予測として講演の最後に言及するかどうか迷ったのだが、思い止まった。「本当に起きてしまったら」という心の葛藤があったからだ。
そして、日本に帰国。羽田についてスマホの電源を入れた途端、ハマスの「奇襲反撃」のニュースが飛び込んできた。9.11の再来ともいえる、ハマスの悪魔化で世界を「安全保障化」させる新たな分断だ。
しかし、ジェノサイドとイスラエルを明確に関連付けた、国連の最高司法機関である国際司法裁判所の2024年1月26日の緊急暫定措置命令を待つまでもなく、イスラエルとハマスの戦闘に対して「停戦」の一言をかたくなに拒否し続けたバイデン政権は、「その他全世界」によってさらに広く、そして深く包囲されつつある。

P.165

そして著者は、「この二つの戦争の趨勢を決めるアメリカという存在を、どの国より体内に内包し、かつ、その仮想敵国であるロシア、中国の目の前に位置する”緩衝国家”日本」は、「戦争犯罪の法治、つまり国際人道法に則った法の整備を拒絶する、世界で唯一の国家である」と述べています。

そのうえで、仮に「アメリカが、軍事支援でさえ忌諱する厭戦感が支配する国内政局を圧して、『民主主義と自由』を守るために奮い立ったとして、そして日本も『法の空白』にもめげずに、『明日は我が身』と奮い立ったとして」も、軍事的合理性を考えれば、中国は台湾を軍事占領できるはずがないのだということを論理的に解説します。

私たち日本人は、ブラック・プロパガンダによって安全保障化され「台湾有事」という幻想に踊らされていますが、そもそも実現不能な軍事作戦を中国が行うのだろうかという原点の問いに向き合うことが必要なのではないでしょうか。

ここで著者は、「日本の命運を支配するゾンビ」たる朝鮮国連軍について話を展開します。日米地位協定における「全土基地方式」や「統一指揮権密約」などによって日本の主権はあってなきが如くではありますが、そればかりか朝鮮国連軍地位協定によって、日本の意思が入り込む隙間のないままに、自動的に戦争に参加する可能性があるという最大の問題点を指摘されています。本書には出てきませんでしたが、著者がよく言う「緩衝材国家」が日本なのです。トリップワイヤーを仕掛けられていながら、意見をさしはさむ余地さえもありません。

日本には、「平和」にも、「戦争」にも、主権がないのだ。

P.196

最後に著者は、「『ボーダーランド』の非武装化・外交的軍縮という国防のオプション」を提言します。

「ボーダーランド」を武装化して、敵国に対して槍を向けることが果たして有意義か否か。(中略)
こういうことを言うと「お花畑」「平和ボケ」といわれるが、そうではない。国防のためにこそ、日本が緩衝国家であるという事実をちゃんと認め、われわれが生き延びるために「ボーダーランド」を非武装化すること、またはそれを外交的に謳い上げることによって段階的に軍縮するというオプション、これを国防の選択の一つとして考え、「安全保障化」の暴走と「安全保障のジレンマ」を回避するべきだと言っているのだ。

P.217

以下、日本に提言する。
前述のマグニツキー法の日本版である「人権侵害制裁法」を一刻も早く実現し、世界で起きる人権侵害に対して人権の普遍的管轄権に基づき行動する「人権大国」になる。しかし、軍事的な挑発や恣意行為は国是として慎む。
大国同士の戦争が始まったら、真っ先に戦場になる「緩衝国家」だからこそ。
ウクライナ戦争、【ガザ・ジェノサイド】に対峙する今だからこそ。

P.218

著者の、この非戦の安全保障論に、私はもろ手を挙げて賛同します。
日本の為政者には、是が非でもこの道へと進んでもらいたい。

また、【ガザ・ジェノサイド】と宇露戦争に対して行われているであろう、秘密裏の停戦工作にも大いに期待します。

それでも現状を見ると、停戦工作にしても非戦の「人権大国」になるにしても、それが苦難の道であることは想像に難くありません。

戦争は、敵と戦うことのように見えますが、その実、支配者が配下に殺し合いを命令(督戦)し、敵味方なく人々を不幸のどん底に陥れる行為です。だからこそ上官責任を明確にする必要がある。けれども日本にはそれがない。考えてみれば、戦争をするかしないかの意思決定にさえかかわることのできない為政者が、責任を取りたくないと思うのは当然なのかもしれません。

そんな為政者の意識を変えさせるためには、著者の活躍に頼るばかりでなく、私たち市民一人ひとりが、緩衝材国家に生きていることを自覚し、ブラック・プロパガンダに騙されないだけの知性を磨いて、市民の側から脱安全保障化の流れを作り出すことが必要なのではないでしょうか。為政者の側から作り出された安全保障化を市民の側から逆転させる。「非戦」以外に生き残る道がないと覚悟を決めて、国民みんなで為政者に翻意を迫りましょう。

様々な立場の人々がそれぞれに力を尽くし、またそれら市民の平和的な力を結集する事によって、必ずや世界と日本の危機を克服できると信じます。

(なお蛇足ですが、このたび私は市民自らの手で軍縮を実現したいと願い、「自衛官【退職・帰郷】応援キャンペーン」を企画しました。こちらの企画書をご高覧頂ければ幸いです。)

『14歳からの非戦入門』



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