心象のスピッツ

今日新幹線に乗って広島まで行ってきた。生まれて初めてスピッツのライブを観た。小学4年生のころに夢中になってから、ライブに足を運ぶまで、20年近くかかってしまった。

席に着くと、右隣は空席で、左隣はおば様が座っていた。お一人様同士で気を遣ってくれたのか「チケットはファンクラブで取ったんですか?」と話しかけてくれた。一般で当選したんですと言うと「すごいですね!」と褒めてくれた。聞けば、96年からスピッツのライブを足を運んでいると言う。僕がスピッツを知る前から通っている大先輩だった。僕がライブに来るのが初めてだというと、最近知ったの?と返された。いや、子供の頃から好きだったんですが、何か来れなかったんですと答えた。何か、来れなかったんだよなぁと反芻した。

小学4年生の夏、10歳上の姉からスピッツの曲が30曲ほど入ったカセットテープを譲ってもらった。何度も何度も繰り返し聴いた。巻き戻しに失敗してぐちゃぐちゃになったテープを指で直して、また聴いた。何倍速かで録音されていたから、音は潰れていて、歌詞も半分くらい分からなかった。それでも、いやそうだからこそ、スピッツは魅力的だった。半分霞かかった中に綺麗なメロディや歌詞がパッと浮かんで、また霞の中に消えていった。

小学生から中学生になり、カセットテープからMDへ。MDからMP3プレイヤーへ。128kbpsから320kbpsへと買い替えていって、どんどん音質はクリアになった。でも、曲の持つイメージは依然として輪郭が曖昧なままだった。比喩や風景描写を多用した歌詞や、感情を乗せない歌い方がそうさせているのだろう。スピッツが曖昧でいてくれることをいいことに、僕はうまくいかない自分の毎日を慰めるため都合が良いようスピッツの曲を勝手に解釈していった。勝手に解釈されたスピッツは、僕の深い部分に大切にしまわれることになった。

同じ時期に夢中になった三島由紀夫の「金閣寺」の言葉を借りるなら「心象の」スピッツが生まれた。言葉にしてみると恐ろしいのだが、この心象のスピッツは僕の人生の大事なときに流れてきて、僕の行動方針や美的感覚、倫理観に影響を与えた。金閣寺の主人公は女性の胸を見て心象の金閣が浮かんだというので、それよりは軽微なものであったが、例えば中学の頃の親友と塾帰り遊んだ記憶は「夜を駆ける」と不可分に結びついていて、どちらかを思い出すと一緒に片方も思い出される。その時遊んだ信田くんは、大学3年のころから急に連絡が取れなくなった。今、どうしているのだろう。

そんなもんで、心象のスピッツと僕の人生は深く結びついている。だから、実物のスピッツを観るということに価値を見出せなかった。実物を見たって、がっかりするだけな気がした。しかし、「金閣を焼かねばならぬ」と三島は言うが、スピッツは焼かなくても勝手に年老いて亡くなってしまうと、ふと思った。実物を知らないまま心象のスピッツに囚われ続けるのは、不健康な気がした。そんなことを思っている時、低音難聴を患った。スピッツも健康で、僕も健康な時期は今後そう長くはない気がして、いてもたってもいられず、スピッツのチケットに応募していた。

左隣のおば様は、手を叩いて、振って、全力でライブを楽しんでいた。彼女にもきっと心象のスピッツがあるのだろう。いや、このライブに来ている何千人が、何千の心象のスピッツを抱えているように思えた。

実物のスピッツは、そんな心象のスピッツを壊してやろうとか、そんな素振りを少しも見せなかった。それどころか、CDに忠実な歌唱や演奏は、まるで心象のスピッツを一緒に大事にしてくれているようにさえ思えた。

おば様の手は、少しだけ曲のテンポに遅れていた。その様子を見ながら「渚」を聴いていると、どうしようもなくなって、くちゃくちゃに泣きながら手を振った。


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