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オアハカ滞在記録4【死生観に触れる】
どうもです!
引き続き6月中旬に訪れたオアハカの滞在記録を綴ります。
今回はオアハカでは最も有名な遺跡モンテ=アルバンを訪れた時のことについて。
僕らが滞在した時は、雨季にも関わらず天気にも恵まれて太陽がジリジリと照りつける中ではありましたが、最高の滞在となりました!
実は次男くんもいる関係で我々おかだ家だけでは、行きたいけど行けない場所だね、と話していたのですが友人のJuanの車で案内してくれくれるということで行けることになったのです。感動。
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モンテ=アルバン遺跡に到着。
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恥ずかしながら、モンテ=アルバン遺跡について実は全然知らなかったのです。Wikipediaでは以下のような情報が出てきます
モンテ・アルバン(Monte Albán)は、メキシコ、オアハカ州のオアハカ盆地中央、オアハカ市街の西方10 km、盆地の「底面」からの比高差400 mにある山の頂上を平らにして築かれたサポテカ文化の中心をなす祭祀センターである。紀元前500年頃から紀元800年頃まで繁栄した。後古典期には、ミシュテカ族に支配された。メソアメリカ文明を考える上で非常に重要な考古遺跡であって、1987年に「オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの古代遺跡」の名で世界遺産にも登録されている。
Juanの案内の元モンテ=アルバン遺跡を進んでいきます。
モンテ=アルバンは紀元前500年から築き始めたサポテカ族の古代文明都市であり、主に祭事を行う場所として使われていたそうです。
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前に立っている石碑には、様々な像が彫ってありました。
当時の数字は1~4は横并びの⚪︎で表現しに5で丸の上に打ち消し線を引いて数えていたそうです。
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星を観測し人々は歴を辿っていたそうな。
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政治的な決定も運任せの球技により神々が答えをくれるということで意思決定がされていたそうです。
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遺跡を巡ると様々な人たちが描かれています。
Juan曰く、一人一人の彫刻には特徴がありその一人一人の物語をとどめて留めているものだということを教えてくれました。
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当時のサポテカ族では、自然の中に神々が宿るという信仰があり
人もその自然の一部で何ら変わらぬ、循環する命の一つであると考えられていたそうです。そして、生贄として命が捧げられ、神々との交信を図ったと。
「死」は終わりではなく、つながる象徴として。
むしろ、尊い「死」というものが当時はあった。
だからこそ、壁画に刻まれる一人一人の物語を尊んだのではないかなと思いました。
それは自然環境の厳しいエリアにて必然の営みだったのかもしれません。
2500年前よりモンテ=アルバンで営まれてきたことを土台にカトリックの信仰と混ざり合い、今のオアハカの人たちの死生観は非常に豊かなのへと育ってきたのではないかと思います。
ある意味で、非常に日本とも近いなと思いました。
そして、オアハカには「死者の日」があります。
日本でいうお盆のようなものですが意味合いは全く異なります。
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Juanの妻のLaura曰く、非常にめでたい絵なのだということ。
死者の日は、家族や友人が集い合い、その故人の思い出を語り合います。
そして、先住民族にとっての「生」の祭りなのです。
オアハカでは、「死」によって人生が終わるのではない。
生きていく人たちの中につながりとして生き続けていくものなのでしょう。
だからと言って、「死」というものを完全な神聖なものとして扱い続けているわけでもない。
「死」というのは自分たちに必ず起こりうることであり、その必ず起こるであろう出来事へ向けて、どのように人生という時間を使うのか?何が豊かさであり、幸せなのか?
そういうことに対峙する機会が多いことが、今のオアハカのアイデンティティの基盤になっているのかもしてません。そして経済的な発展だけが豊かなのか?という着想につながる根源なのかもしれないなと思ったのでした。
ちなみに、鳥は命の循環の象徴。
非常に重要な役割のようです。
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命についての様々な思想があるのは本当に大切だなと思いました。
日本にも本来ある感覚。
もう一度見つめ直していくことが、僕らが豊かに生きていく上で大事になるのだよなと改めて思いました
それでは。
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