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結局すべては寂しさなのか

People Poweredの対談とか、ぷろおごさんの「経済」の正体のnoteとか、若新さんをみて思ったこと


若新さんってだれ?
孤独とか嫉妬とか人間のよわいところについて話したりしてる、コミュニケーションの研究者、兼、僧侶

人間いろんなことやっているけど
寂しさを感じて、それを埋めること以外に
有史以来なにもやってきていないんじゃないかと思う

若新雄純の野望!孤独の闇

示唆的な言葉だなと思っていて、人間なんかいろいろな活動をやっているわけだけれども、「喜び」も「悲しみ」も「怒り」だって結局はすべて寂しさから発生してるんじゃなかろうか。

ひとりで本を読むことだって、ひとりの寂しさを本で埋めている。ほんとうにひとりになったら気が狂っちゃうから。

寂しさに化粧をして、着飾った、都合のいい言葉が、世の中には陳列されている。だったら、どうせなら、かっこ悪くない言葉で自分を形容したい。

だけれど、「寂しさを埋めていくことが生きていくことだ」という自覚が、ともだちをやっていく上での第一歩なんだろうと思う。そして、寂しさを自分(とひと以外のもの)で埋めれるようになった個人同士が集って群れをつくる。群れで楽しく過ごすためのハウツーはその後でいい。

自分の寂しさ、弱さを自覚することで、優しくあれるんじゃないか、そんな気がする。

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