3.11と昔の同級生の話

3.11になると、数年前に急に実家に「会いたい」と電話をしてきた小学校時代の同級生のことを思い出す。

小学生だったときに転校してしまった彼とは20数年ぶりだったが転校してから一度も連絡をとったことはなかった。それどころか小学生だった当時も一番よく遊ぶとかそういうこともなく仲の良い友達と遊べなかったときに遊ぶくらいの関係だったと思う。

彼のことで印象に残っているのは、とにかく無口だったことと学校一身長が大きかったこと。なんとなくだが運動神経が悪く勉強もそれほど出来なかったように思う。それくらい自分のなかでたいした割合を占める友人ではなく、それは引っ越しの挨拶もそれほどされなかったことから彼も同じだったと思う。

そんな昔の同級生から急に実家に連絡がきたのだ。自慢ではないが私は友人が少ない。実家の母から私に連絡が来て、昔の同級生が地元に帰ってきて会いたがっていると聞かされたときには悪い気はしなかったため早速その日の夕方に会うことになった。

地元にあるチェーンの居酒屋で集合したときに一番面をくらったのは彼の笑顔だった。小学校時代の彼はほとんど表情を変えず嬉しいときでもちびまる子ちゃんの野口さんのような「くっくっく…」くらいの笑い方しかしなかった彼は、私と久しぶりの再開した瞬間に満面の笑みで笑っていたのだった。

20年以上経つと人は変わるものなんだなと思いつつ、この20年何をやっていたのかなどを聞いてみることにした。彼は仙台に引っ越しており、私はそれを聞くまでそれすら知らなかったことに少し罪悪感を覚えた。仙台では友達が出来ず学生生活が辛く登校拒否になったとのこと。なんとか学校を卒業したあとも働かず引きこもりになっていたこと。そんな中で東日本大震災にあい家族が全員死んでしまい親戚もなく孤独になってしまったこと。津波に流された家族は誰も見つかっていないことを彼は満面の笑みで話をしてくれた。

そこでもちろん少し違和感を覚えたのだが、お互い大人なので彼も辛いことを乗り越えたのだなと勝手に解釈をして、自分も妻と別居中で二人のこどもを実質シングルファーザーとして育てていることなどを笑いながら話をした。

しばらくそんな不幸自慢のような会話が続いたあと、彼は自分の苦しい状況は人に助けられたからだと言い出した。助けた人は1人や2人でなく団体らしい。宗教団体だった。

全ての違和感が解消された。それほど仲の良くなかった友人である私に連絡してきたこと、本来であれば絶望ともいえるようなことを彼が笑顔で語れること。全ては宗教にハマっているからなのだ。もしかしてこれから勧誘されるのだろうか。

同級生からの連絡を素直に喜んでしまっていた私は急激に恥ずかしさを覚えながら彼の話を聞く。やめてくれ私の嫌な推測を確定させないでくれ。俺はまだ君と元同級生でいたいんだ。

「○○会は本当に良い人たちしかいなくて、僕も○○会のおかげで運が良くなって幸せになれたし君も話を聞きにこないかな?」

なんて返答したらよいのか分からなかったが私は考えずに即答することにした

「俺は自分のしてきたことの結果が人生だと思ってるから運の要素をあんまり信じていないんだよ。自分で全て解決出来ると思ってるし他人に頼らず自分の力で子供も育てようと思ってるから俺に宗教は必要ないかな」

そう言った瞬間、彼の表情に変化は無かったがニコニコした目の奥が黒く光ったのがわかった。

そのあとはお互い早く帰りたかったと思うし適当に話をして店を出た。おそらくもう彼と会うことはないだろう。居酒屋の前で彼を見送りながら、辛かった人生を送っていた彼の笑顔が宗教のおかげでもいいから本当のものならいいなと思った。

その翌日から、私は同じ小学校に通っていた同級生の家に電話をしていった。もう誰とも連絡はとっていないし、それほど地元には残ってる人はいないだろうが、小学校時代に同級生だった彼が宗教の勧誘をしに戻ってきていることは伝えなければいけないと思った。これは勧誘される側も勧誘して断られる側も辛いので会わないほうがいいと思った。

一週間ほどかけて電話をしてまわって全員に連絡がついたわけではないが、私から連絡がついた人たちのところには幸いまだ誰のところにも彼からの連絡は来ていなかった。私の実家はお店をやっており電話番号が書いてある看板があったので電話したんだなと。私が子供の頃は学校から連絡網のような同級生全員の電話番号の書かれたプリントが配られていたのだが、そういえば昨日彼からそれをくれと言われ話を適当にはぐらかしたことを思い出した。私ももうそんな連絡網の紙は持っていないが子供の頃は暗記が好きだったので高校までの同級生の電話番号は全員覚えていたので電話できたのだ。

ここまで宗教の勧誘を阻止しておいてなんだが、宗教に否定的なわけではない。信じたい人は信じればいいしそれによって救われることもあるのも事実だろう。ただそれを押し付けないでほしいのだ。その勧誘のために時間を奪われるのもご免だし最初から宗教の勧誘だと聞いていれば当然会わない。それを隠して会ってから勧誘する手法がフェアじゃないし、自分に友達がいないことをわざわざ再確認させないでほしい。

話を戻すが、私が一週間ほど同級生に連絡をしてまわっているときに、久しぶりの連絡のため宗教の勧誘だと思われることもあったし、事情を話していて彼の境遇を聞いて泣き出す人もいたため、なんだか彼の立場になったかのような感覚にもなったものだ。その一週間、少なくとも私は全然幸せではなかったが。

自分の周りで東日本大震災によって人生を変えられてしまった人間は彼が一番だろうし地震がきっかけで絶望して宗教に救われるなんてこともあるんだとそれまでの自分には想像もつかなかったことである。彼は今も幸せでいれているんだろうか。3.11になると毎年思い出す。

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