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心が弱いなんていっていいのか

高校を卒業したすぐ後、大学受験に失敗して浪人することになった私は、浪人することになった人たちの決起集会のようなものに参加しなければならなくなった。その集会の後に学年主任に声をかけられ、こんなことを言われた。

「お前は頑張ったかも知れないけど、ちょっと弱いところがあったかもな」

その主任は、集会のなかでも、浪人する人は少しだけ、どこか弱いところがあったのかもしれない、というようなことを言っていたので、その流れで私にもそう言ったのだろうと思った。ただ励ましのために言っただけで、もちろん悪意はなかっただろう。

私は、その集会に行く前から、誰かしらの先生から、そういう感じのことを言われるだろうと覚悟していたので、主任の言葉を聞いてもそんなに気にしないようにしようと自分に言い聞かせ、実際大して気に留めていなかった。

しかし、やはり心のどこかでその言葉が引っかかっていたのか、主任に言われたことをなぜか母に話してしまった。すると母は「なんでそんなことを言うのか」と少し怒ってしまったのだ。母の反応は予想外だった。母が怒ったものだから、それまでは気にしていなかったのに、私も、私は嫌な事を言われたんだと思うようになってしまった。

それ以来、「心が弱い」ということを時々考えてしまうようになった。私は本当に心が弱いのだろうか?確かに私は怠けやすい性格ではあるけれど、それを言ったら私と同じくらい怠けていても浪人しない人なんていっぱいいるだろう。心が弱かったことが浪人の中心的な理由とは限らない。プライドが高くて入るのが難しい大学を目指しちゃったとか、別の理由もいろいろあるのだと思う。きっと私が引っかかってるのは、心が弱いと言われるのは、全部自分が悪い、自分の責任だと言われているみたいで納得できないからだと思う。

心が弱いってどういうことなのだろう?
打たれ弱いとか、傷つきやすいとか、誘惑に負けやすいとか、そういうことなのだろうか。

そもそも心が弱い人なんているのだろうか?
もちろん、繊細な人、鈍感な人はいるだろう。
でも、繊細な人は、傷つきやすかったり、気にしすぎたりすることはあるかもしれないが、その一方で信念が強かったり、何かを継続できたりすることもあると思う。逆に細かいことは気にしない、打たれ強い人であっても、他人に振り回されやすかったり、一回傷つくとすぐにやめてしまったりすることもあると思う。

ある側面を見れば心が弱くても、違う側面を見たら心が強かったりするのだろう。ただ、ある側面だけにおいて、他人と比べたときに、あいつは心が弱いんだな、となるのかな、と思う。私において言えば、同じ大学に受かった人と比べたときに、あいつは弱いところがあったんだな、となるのだろう。

私は受験に失敗して浪人して、その後もう一回失敗したけれど、自分の心が悪いなんて思わない。色々直さなきゃいけない所はもちろんあったと思うけれど、絶対自分の心のせいだなんて言いたくないんだ。
だってそんなの悲しすぎる。
完全に自分が悪いと言われてるみたいでどうしようもないじゃないか。

あくまでも、こころが弱いんじゃない、
自分の心のせいじゃないんだと思うことで、
少しは救われる気がするんだ。

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