懐かしのグラウンド

昨日みたいな感じの投稿でいいんだろうか?

と思いながらもまた書いてます(^^ゞ


子どもの時そこそこ転校して、これまで住んできた町を本拠地にするチームを数えたら約10チーム。

なのにその町のチームのサポーターになることもなく、一貫してベルマーレだった自分はなかなかブレないなーと思ったりする(笑)


特に女子は学校のクラス内でもグループを作りがち。

同じものが好きとか何となくのタイプでそれぞれのグループに分かれるんだろうけど、私はそれが苦手だった。

「なんでみんなと仲良くする、じゃダメなんだ…?」とよく思ってた気がする。


人と少しでも違うと、いじりやいじめの対象になるから、あえて自分の趣味や好きなことについては学校ではあんまり言わないという子もいた。


それも分かるし、私も一応誰とでも仲良くはするけど、実際に心を開くのは本当に狭く深い人間関係の仲に限られてたと思う。

ただサッカーが大好きでベルマーレが大好きというのは、隠し通すことはできなかった。

隠す必要もないことだし、どっちにしても服装や持ち物で分かってしまうから(笑)


そんないくつかの転校先でも、特に忘れられない場所がある。

遠い遠い町で、その町を離れて別の転校先に移って以来行ってなかったけど、その町がホームタウンのチームの試合に行こうと、めちゃくちゃ久しぶりにその町に降り立ってみた。

“降り立つ”という表現がピッタリな、遠い遠い町。

もちろん、いい思い出もあった。

だけど、正直忘れたい記憶もたくさんある町だった。


そこがホームタウンのチームは、監督もコーチも選手もスタッフさんもサポーターもボランティアさんもみんな、すごく気さくに話しかけてくれるチームだった。


あれ?あの辛い記憶って、この町での出来事だったっけ?と考えてしまうくらい。


そのチームの試合があった日の次の日に、私は昔サッカーをやってたグラウンドに行ってみた。

「もうこの町には来ることはない」、そう思って当時は振り返りもせず電車に乗って離れた町。

友達にもらった黄緑と青のミサンガをつけたベルマーレの腕時計をつけて、「もう今日からは無理やりの笑顔じゃなく、本当に笑って生きたい」と思って離れた町だった。


「大人になって、またこうやってこのグラウンドに来るなんてなあ」なんて、すごく不思議な気持ちだった。

いつも地元や前に住んでた町を思いながら見てた、階段の一番上からの青い空はそのままだった。

当時より大きくなった木が、グラウンドの端っこで優しく見守ってくれてた。


いつもベルマーレのシャツを着て練習してたゴール。

ちょっと古くなってたけど、そのままだった。

びっくりするくらい、あの頃のままだった。


いつもサッカーボールを抱えて過ごしてたあの頃。

初対面のおじちゃんおばちゃんに、「お兄ちゃんかお姉ちゃんもサッカーやってるんでしょ?」と、なぜか上にきょうだいがいて、なおかつサッカーをやってる設定に勝手にされてることも多々あった(笑)


もう会うこともないかもしれない人には、華麗なジャパニーズスマイル(実際華麗かどうかは分からないけど…笑)で切り抜けてたけど、実際にはお兄ちゃんもお姉ちゃんもいなくて、新しい環境にたった一人毎回飛び込むことは、しんどくて勇気が要ることでもあった。

そして、切実にそんなお兄ちゃんお姉ちゃんが欲しかった。


「グラウンドのあのへんで、いっつもヘディングの練習してたんだ」

「初めてゴール決めた日のこと、日にちまで今でも覚えてるもん。ほんとに嬉しかった」

「新しいシューズ履いて行ったら、監督が『Nikoがいつもサッカー頑張ってるから、(親が)見てて買ってくれたんだね』って言ってくれた時もあったな」


できるだけ楽しい話題から、ポツポツ話した。


転校経験がない両親は、もし当時私が「転校先でこんなことがあった」と言っても、あんまりどんな状況か分からなかったと思う。

それに、親の世代にはなかったいろんな問題も今の学校にはあると思うから、何となく分かってもらえない気がして、当時は転校生活の大変なことは親に話さないようにしてた。


だから、大人になっていきなりそのグラウンドで当時の話を初めてして、一緒に久しぶりにその町に行った親はびっくりしたんだろうな。


「ヘディングに強くなりたい、じゃあ背がもっと高い方が絶対に有利だと思って、給食の時間に牛乳が苦手な子に頼まれた分も牛乳2つとか飲んで、その後昼休みも1分も無駄にしないようにサッカーして…、大変なこともあったけど、サッカーにはほんとにあの頃も救われてた」


そんな話もしながら、不思議と覚えてた通学路を当時住んでた家まで歩いた。


家の近くに、その町がホームタウンのチームの自販機を見つけて、飲み物を買った。

「一部がクラブの運営資金になります」っていう、よくあるあの自販機。

このチームがなかったら、大人になってこの町にまた来ることもなかったなと思った。


当時の自分に会えるなら。

当時の自分と話せるなら。

伝えたいと思う。


あの頃大変だった場所は、いずれサッカーのおかげで好きになれる町だよ、って。

そして、大人になっても変わらずベルマーレが大好きで、湘南地域も大好きで、ちゃんと笑って頑張れてるよ、って。


昔は複雑な気持ちの中で自分の試合に行ってたあの建物も、今はいい思い出があるその町のチームのチームカラーあふれるスタジアム。


「おかえり。また帰っておいでよ」と言ってくれる人たちがいる、好きな町の一つになった。


今からまた転校生活はもうしたくない。

だけど、いろんな町に住んで、いろんなチームを愛する人と出会って、広がった世界も確かにあったし、学ぶこともあった。

体じゃなく心が成長する上で、私には必要なことだったのかなとも思う。

孤独や辛さを知って、人に優しくすることの大切さも学んだ。


いろんな町で暮らしてきて、改めてやっぱり神奈川は、湘南地域はいい町だなとも感じるし、地元に対しても改めて良さが分かる。

ベルマーレに来てくれた選手のみんなにも、湘南という町を好きになってくれたらいいなといつも思う。

今はベルマーレでプレーしてなくても、湘南が帰ってこれる場所であったらいいなと思うし、「おかえり」が似合う町だったらいいなとも思う。

それから、湘南地域で話す湘南が地元の人たちは「え?これが良さなの?」「こんなの普通でしょ」と、なかなか湘南地域の良さに気づいてないんだなと思う時がある。


「だってさー、横浜じゃないじゃん(笑)」

「他県からしたら、湘南は分かっても、〇〇市とか細かい地名なんか知らないべ?」

ってよく言われるけど(笑)、湘南地域って本当にすごく素敵な場所で、選手に限らずサポーターに限らず多くの人たちに湘南地域の良さを知ってほしい。

元々野球好きで、サッカーには特にあんまり興味はなくて、「サッカー選手って、髪色とか試合後のインタビューがチャラチャラしたイメージがある」と言ってた親も、今ではベルマーレのホームタウンの市町はたぶんほぼ言えると思う。

「湘南っていい町だよ」と言ってくれる。

「そんな第二のふるさとがあってNikoは幸せだね」とも言ってくれる。

私を宇宙人のように笑ってたはずなのに、今では人の名字の説明でも「平塚の塚!」「茅ヶ崎の崎!」「小田原の小!」とか言うくらいになってて、考えたらすごい(笑)



懐かしいグラウンドから話ズレてる上に、今日もまた記事が長い( ノД`)


次はもうちょっと簡潔にまとめよう…(たぶん!笑)

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