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GWの電車内 自分の欠陥

GWの電車内は、夜でも混んでいます。遊び帰りの人もいれば、僕のように仕事終わりの人もいます。僕は行きのように精神が病んではいませんでしたが、酷く疲れて、小説を読んでいても字が滑っていました。

すると、数歩先で立っていた男性が倒れました。

現場は騒然とします。それまで自分の世界に入っていた人々が一斉に覚醒し、「大丈夫ですか?」と声をかけました。僕たちは一番前の車両に乗っていたため、僕の隣にいた人が運転室を叩きました。ちょうど駅に停まっている時だったのが幸いでした。運転手が出てきて、僕を始めとした何人かが事情を話しました。が、その時には既に倒れた男性は起き上がっていて、まるで自分が倒れたことも知らないかのように立っていました。
なんだか熱く説明しているのが馬鹿らしくなった時に、再び男性が倒れました。再び現場は騒然としますが、本当にドラマのよう、たまたまそこに医療関係者の女性がいたので、彼女が大活躍。男性を座席に座らせ、脈拍やなんやらを確認して、無事を確かめました。その間に運転手が駅の責任者を呼び、男性は一度駅から降りることとなったのです。

GWですから、お酒でも飲み過ぎたのでしょうか。無事だといいのですが、ともかく、その場面はこれでおしまいです。四分遅れではありますが電車は動き出し、一件落着。

問題はその時の僕の心理です。

僕の行動自体は、倒れた人に驚き、運転手に事情を説明し、ことの成り行きを見守っていました。

しかし行動とは裏腹に、このまま誰も何もしなければいいのに、と思いました。それまで全くの無関心だった人々が、突然協力し合うことの気持ち悪さったらありはしません、などと思ってしまったわけです。何故、こんな誰も知らない人の無事を思って行動するのでしょうか。身内ならいざ知らず、どこの誰だかもわからない人を救うくらいならば、聞いている音楽の素晴らしさや、トークしている友人との時間を大切にした方が、自分の人生において有意義ではないのでしょうか。そのように、たかだか同じ電車に乗っただけの相手を心配するくらいなら、自分に集中した方いい、と考える人が、もう少し多い割合で存在するのが自然ではありませんか。

最も、自分が倒れた側だったら誰かに助けてもらわないと死んでしまいますから、助けて欲しいと思います。自己中心甚だしい!

僕は人が嫌いです。
日本人も大抵の方々が人が嫌いだとか、人見知りと言います。
なので、僕も日本人のマジョリティーの中に入っていると思っていましたが、日本人がいう人嫌いは、真の意味の人嫌いではなく、人が困っている時には助けるという義務感を持った人嫌いなのです。
この倒れた人を、心底どうでもいいと思っている自分がいました。ですが、どうやら僕の周りにいた人はこれっぽっちもそんことを考えてはいないらしく、僕は異常者扱いです。
「こいつ、人を見捨てています!」

周りが心配しているから。目の前で倒れられていると気まずいから。所謂集団意識で男を助けたような気がして、盛大に気持ちが悪く感じられた次第です。

でも本当に、僕は頭がおかしいのでしょうか。自分と、自分が守りたい数人分を守るだけでも、何かを犠牲にしなければなりません。おじいちゃんを入院させるためのベッドで、他の誰かの命を奪っているかもしれまん。それをただ目に見える場所でやっただけ。

赤の他人を見殺しにできるかもしれない、という発想を持っている僕は欠陥品です。
もちろん、電車内で人を助けようと動いたように、実際に僕が他人を見殺しにするかはわかりません。
それは何故か。
欠陥部分を補うものがあるからです。
それは何か。
恐らく、義務教育でしょう。

義務教育には何の意味もないと思っていましたが、まさかGW中に義務教育のありがさを感じるとは。欠陥品を見せかけの普通にまで持ち直して下さったのです。

あぁ、倒れた方は今頃何をしているでしょうか。ピンピンしているといいんですけど。

僕はまだ疲れているようです。どうかこの文章をまとも受け取らないで下さいね。疲れているので、寝ます。




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