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No.7/分岐点

高校2年の冬。

高校最後の1年で自分の夢にどれだけ近づける事ができるか。
たくさん考えて決断した事がある。
それはドイツにサッカー 留学をするという事だ。

最初の問題は高校生という事だ。
もちろん毎日の授業があるし同じ学校にそんな生徒はいなかった。
親や監督だけではなく先生達とも話し合った。当時の担任の先生は僕をとても応援してくれていた。
もちろん校長先生にも思いを伝えた。
たくさんの先生のおかげでなんとか2ヶ月だけ許可をもらった。
正直、成績優秀でもなかったし部活としても結果を残していたわけでもない僕にたくさんの先生が協力してくれて許可が出たのかは自分の中で今もわからない。
ただ前回でも書いたように強い思いが伝わったのかもしれない。
(その分、出席日数で卒業するのがギリギリだった記憶がある笑笑)

そしてドイツへと行った。
もちろん1人だし英語もドイツ語もわからない。
そんな僕に部活やクラスの仲間達が語学の本を買ってくれたり空港から電車で目的地までの行き方を調べてくれた。
そのおかげで電車は止まったりしたが何とか着いた。
そこでの生活は同じ日本人の長期・短期留学の選手とのシェアハウスだった。
たまたま同じ歳の仲間が多くてすぐに溶け込めた。
練習は住んでいる近くのユースチームにはめてもらった。

そこで僕のいま見ているサッカー観や世界がとてつもなく広がった。
その当時ブンデスでは長谷部選手や香川選手、原口選手が戦っていた。そのインタビューなど聞くと多くの選手が海外でたくさん学んだと話していた。
僕も同じだった。止めて蹴るその動作ひとつにしてもスピードが違った。
そして体が大きい!!身長も筋肉も想像以上だった。

しかしそんな中で1番驚いたのは同じ歳の日本人の仲間達だった。
彼らは中学生くらいの時からドイツに住んでおり言葉もプレーも現地の選手に劣っていなかった。
負けていられない!!
そのひと言だ。
毎日が刺激の中で将来ヨーロッパのビッククラブで活躍する!そう決めた。

そんな時ふと部活のことを思い出した。
もちろん部活の仲間達とは連絡を取っていたがドイツでの日々が濃過ぎた。
高校では最後の年なのにスタメンじゃないかもしれないと悩んだ毎日がちっぽけに思えた。それは開き直ったのではない。
試合に出る出ないは大切だ。ただ自分の夢は高校で終わるわけでは無い。
もっと結果だけではなく日々の成長に集中しようと思えたのだ。そして帰国したら成長した姿で親や監督、仲間にサッカーで恩返ししようと思った。


帰国の1週間前のことだった。部活ではちょうど新入生も来てAチームやBチームを振り分ける遠征をしていた。
僕はCでもDでも這い上がってやると思っていた。
そんな時に親から電話がきて監督から帰国した次の日からAチームの遠征に行く準備をしてほしいと言われた。
自信はあったし嬉しかったが心が引き締まった。
そこから帰国した僕は部活に合流してレギュラーとして試合に絡んでいった。
より強い思いで日々を送っていた。

しかしインターハイは期待されながらも初戦で敗北した。
リーグ戦ではプリンス参入戦への出場も決まっていたので自信はあった。
そんな中で高校最後の大会である選手権を迎えた。
延長で敗れて結果は県ベスト8だった。
アシストなどはしたが勝負を決める選手にはなれなかった。
涙が溢れた…
これにはまだ誰にも話していない理由がある。
もちろん負けたこと結果で返せなかったことの悔しさもあるが、
試合前に僕が監督に呼ばれて言われた事がある。

それは『この試合お前にかかってる。お前次第だ。頼むぞ!』
この言葉が負けた瞬間に頭の中を埋め尽くした。
迷惑をかけ続けた僕への監督の思いと出れない選手達の思いも観客席で応援してくれているみんなの家族への申し訳の無さで一杯だった。

その時もちろん僕はサッカーをするのは決めていたが
正直まだ大学もチームも決まっていなかった。
しかしこの悔しさと情けなさを感謝に変える舞台は同じサッカーでしか出来ないと強く思ったのだ。
改めてプロへの、そしてサッカー選手への思いが強く湧いた。

そこからプロサッカー選手にはなれなかったがザスパ草津チャレンジャーズへ入団した。
ここから僕の本当のサッカー人生が始まった…

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