時の流れを何と例えよう

『Regret Report./リグレットレポート』第21回。
これは毎週土曜0時に配信しているPodcast番組
『Re:creation Port./レクリエーションポート』を題材にしたエッセイです。
まだ聴いていないという方は、先にPodcastを聴いてから読むと、より楽しめる内容になっていると思います。

『#46 レクリエーションラボ、洗脳する気はないのでご安心を。』

#46の配信日4月17日は番組を一緒に配信している小宮さんのお誕生日でした!
おめでとうございます!!!
番組後半でささやかながら、お祝いさせていただきました。

話の流れで時間経過についての話にありました。
時間の流れというと一方向に向かっているというニュアンスがあるんですが、僕はどこかで周期というような感覚で捉えているふしがあるなと話の中で気付かされました。
ドラえもんとか、SF映画やタイムトラベルものの影響か、どこかで円環しているというか、周り巡っているという風に漠然と捉えているなと。
時計の針もそうだし、暦も巡って一周して戻ってきますよね。
なので一年前の自分と現在の自分は、一周目の自分と二週目の自分という感覚。
この針を何十週と逆に回していくと、自分がまだ生まれていない地点、存在しないところに行き着く。

そう考えると凄いな。
誕生日はそんな風に時間経過を教えてくれる始まりの地点だなと。
でも小宮さんの考えは全く違ってました。

時間は一距離で、生まれた地点からどこまで遠くまで行けるか。
少しでも前に少しでも遠くへ行くことが成長。
だから誕生日は、後ろを振り返ってみてスタート地点からどれほど遠く目で来ることができたのかの答え合わせなんだと言ってました。

なるほど!
確かにその通りだなと!
いや、そりゃそうだ。
わかってる。わかってるんですよ? その辺も。
僕もそう思います。
でも、どこかでさっきも話したように周回しているようなニュアンスが自分の中にあって、それを認識する機会になって面白いなと思って今回書きました。

自分の感覚には、どことなく寄る辺があるような、甘えがあるような、そんな気もしてきました。
大きな視点で見ると、生命は循環しているし歴史は繰り返す、そういう要素もあると思う。

でも、しばらくは距離的な認識を意識してみようかな。
とっくにスタートを切ってるんだから、周回してないで思いっきり遠くを目指して、まだ見たことのない景色を目指して進んでいきたいなと。
感覚的な話ですが、そんな風に思いました。



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