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【感想】Chair/IL POSTO(マームとジプシー)

豊岡演劇祭で、藤田貴大氏率いるマームとジプシーが芝居をするというので観に行ってきた。
藤田氏は昨年12月に福知山でワークショップを実施しており、私も参加していた。そこで興味を持ったので今回の観劇に至った。
ネタバレがあるかもしれませんので頭まっさらのままご覧になりたい方はこの記事を読まないことを推奨します。
ネタバレでない点を言いますと、本作品は後ろの方の席で見たほうが良かったと思います。私は最前列で観劇し、そのように思いました。


大まかなストーリー

イタリアの宿舎に泊まっている5人の若者が日常生活を送っている。それは本当にたわいもない日常生活である。しかしその裏側で、地球上では毎日人が死んでいる。日本で起きた具体的な殺人事件の名前も劇中では登場する。最後は登場人物の1人が夢をかなえるところで幕が閉じる。

見どころについて

舞台は総合芸術であるから、美しい照明や劇中ずっと流れている様々なBGM、ホリゾントに投影されているイタリアのきれいな映像、開演前は整理されているが終演時には散らかっている舞台など、美的部分を楽しむものだったのかなと終演時には思った。
前提として私はいわゆる小劇場の第三世代的な芝居が好みであり、会話劇にしても大王やキャラメルボックスといった若干コメディも混ざっている感じのものが好きなので、もしかしたら現代口語演劇の楽しみ方がわかっていないのかもしれない。
「あ、この辺からクライマックスかな」と思ったところで終演したので盛り上がりがなかったようにも思ったのが正直な感想である。
「ここが1番の見どころです!」というのは正直よくわからなかった。
ただテンポは悪くなかったし唯一の日本人キャストだった仲宗根葵氏も可愛らしい良い演技をされていてので、オール日本語の藤田氏の別の舞台も見てみたいとは思った。おそらく来年もマームとジプシーの舞台を観に行くことになるだろう。

作品のテーマ

この作品のテーマは役者論と日常の裏側だったのかな、と私は思っている。それは物語の終盤に現れる。
イギリスの有名な演出家によれば、演劇は役者とそれを見る人がいれば成立するらしい。
が、本作品では役者のセリフにもあるし、この舞台の総合芸術性にも表れているように、照明や舞台装置、そもそものプロデュースをする人など様々な人により演劇は作られている立場を取っている。
本作品の舞台はイタリアだし、役者もイタリアのオーディションを勝ち抜いた人たちだから、世界観はよく出来上がっていたように感じた。

座席について

本講演では整理番号順に10人ずつ中に入る。で、たまたま最前列が空いていたので私はそこに座った。・・・が、これは間違いだった。
本作品ではイタリア人の役者はイタリア語を話し、日本語訳(と、英語訳)がホリゾントに投影される。しかし最前列だと字幕を観ようとすると視線を上にあげることになり、役者が見えない。そして字幕を見ていると、役者が何を言っているか分からないままストーリーが進んでいく。
本作品は同じシーンを繰り返す手法がとられているので、ある程度ついていくことは可能である。しかしセリフは似たようなものでも役者の動きは地位がっている。そのため後ろの方の座席の方が見やすいのではないかと感じた。舞台に集中できないと登場人物への感情移入がしづらく、全体を俯瞰して観るような感じになるなので、余計に後列の方が見やすいのではないかと思う。ただ、おそらくこの作品は感情移入する系の作品ではないようには思う。
また、本作品では役者が袖にはけない。メインで演じている役者の横の方で動いているか、舞台の両サイドにある椅子に座っているかのどちらかである。これは演出手法としてはアリなのだろうが、最前列だと視点が定まらないというデメリットも含んでいると感じた。

以上。豊岡演劇祭はあと2つ観に行く予定。

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