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君のプシュケーを聞かせて

お寺や神社にいくといつも思い出す会話がある。

大学生のあの頃。暇を持て余していた僕は、友達とたわいもない話をして過ごしていた。
あの日もいつもと同じ様に、駄菓子をおつまみに安いビールを飲みながら、今年の夏がいかに暑いか。なんてどうでもいい話を熱く語り、飽きたらまた違う話をする。

そんな日々の中で、哲学専攻の友達からこんな問いかけがきた。


あのさ、プシュケーって知ってる?
なにそれ?響きめっちゃ可愛いやん。

最初は本当にどうでもいい話をしていたのだけれど、夏の暑さのせいか、お酒のせいか、気づけば熱く語り出していた。
どうやらプシュケーは、「魂」という意味らしい。

なんか日本語の魂という言葉より身近に感じるかも。
アニマって言葉も確か魂ちゃうかった?
そうそう。多分そう。

っていうか、そもそも魂ってなんなん?実感ないわ。
心とか脳とかとは別次元にある気がするよね。

人って死んだら軽くなるって噂があって、それは魂の重みみたいな話も聞いたことあるなー。
えー、それ胡散臭くない?

確かに。てかさ、魂ってどこにあるん?心の中?
いや、ぶっちゃけ心とかも存在してる実感ないし、脳しか実感ないなー。

マジで!?魂を感じたことないん?
いや、逆にあるん。魂の存在感じたこと。

なんて、白熱しているところに、友達がやってきて、ソファーに寝転び始める。

なになに。いつもに増して暑苦しい話してんなー。
ちゃうねん。魂がないとかいうからさー。
ないとは言うてないって。で、魂感聞かせてや。ある派?ない派?


なんて、魂感というなぞのワードとともに、暑苦しい&意味のわからん質問をしまくり、友達をドン引きさせた会話。
結構鮮明に覚えていたりする。

未だに魂があるのか、ないのか。答えは出ていないけれど、信仰みたいなものに触れると、体の中で何かが震えるものがある気がしている。