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先送り人の悲劇

ロードバイクでサイクリング中に車にはねられて今日でちょうど2週間。不幸中の幸いで大した怪我も骨折もなく、打撲症と擦り傷、後は顔面を22針縫って若干、迫力のある顔になってしまった程度で済みました。救急車で搬送される際に自撮りした写真をSNSにアップしたら思いのほかインパクトが強かったようで、たくさんの方からリアクションやコメントを頂いてしまいました。ご心配&お騒がせして大変すみませんでした。本日抜糸も済みましたので、これで一旦出来上がりです。この場を借りて皆様に厚く御礼申し上げます。

縫傷の抜糸も終りました

3つの真実に向き合う

今回、1つ間違えばあの世に逝ってしまっていたかもしれない事故に遭って感じたのは人の命の危うさと人生の儚さです。以前、このnoteにも書きましたが、3つの真実(人は必ず死ぬ、それはいつかわからない、刻一刻と死に近づいている)を実感として胸に刻みつけることになりました。そして、その真実に向き合うと言う事は、1日1日を大切にして、できる限りのことを「今」行っておかなければならないと言うことです。こんな誰でも知っている当たり前の事ではありますが、改めて正面から向き合うことでスケジュールの組み立てや時間の使い方に対する認識が変わったように感じています。

priorityを考える機会

人は誰しも1日24時間、1年365日の時間しか与えられていません。その使い方の総和を人生と呼びます。いつ終わってしまってもおかしくない一度きりの人生をできれば怠惰と快楽に身を委ねるのではなく充実した実りあるものにしたいもの、何かしらこの世に生を受けた足跡を残して向こうの世界に逝きたいものです。それはそのまま、今何をするかの選択となり、本当に大事なものに対して時間を使うべきだと強く感じています。最優先事項、優先順位は何なのか?との問いが頭の片隅にずっとこびりつくようになりました。

終わりから考える

エンディングノートと言う遺言を含めた人生の終わりに対して整理をするノートが終活の盛り上がりとともに人気を博しています。また、普段の忙しい暮らしの中では、なかなか向き合うことができない人生の終末に打ち合うきっかけづくりのための終活ワークショップなども開催されており、以前に私も参加したことがあります。その時はまだあまり死に対してリアルなイメージがついておらず、中途半端なノートを作ったような覚えがあります。どこにしまい込んだかさえわからなくなってしまっていますが、今ならもっと真剣にノートの作成ができると思うので、近いうちに再度まとめてみようと思っています。世界で最も多くの人に読まれた自己啓発本「7つの習慣」の中で終わりから考える。との一説がありましたが、本を読んでから四半世紀経って漸くそれが腹に落ちました。

主婦と生活社
私のエンディングノート 新装版

先送り人の逃げ癖

死を身近に感じた今、改めて考えてしまうのは現在積み残している数々のタスクです。行動に移せばすぐにできるものもあれば、時間をかけなければ解決できない課題もあります。今になって気づかされるのは重大なタスクは少なからず先送りしてきたとの事実です。人は痛みや強いストレスの負荷を感じるものから逃走したいと思う本能があると言われます。解決困難な難しい問題や課題にこそ早く真剣に向き合わなければどうにもならないのに、つい先送りしてしまうのは致し方ないのかもしれませんが、それを素直に受け止めて面倒から逃げる選択を受け入れてしまうと結局、大事なことを積み残したまま逝ってしまう人生になってしまいます。そして、先送りや安易な逃げの選択は癖になってしまうものです。

我が人生に一片の悔いなし

人生50年以上生きていると、これまで多くの人を見送ってきました。その中には天寿を全うされて何の悔いもなく旅立たれたなと思う人もいれば、(直接聞いたわけではありませんが)さぞ無念が残っただろうと感じる人もいました。人が死を迎えるのに良いも悪いもありませんが、できることならやりきった人生だと思って旅立ちたいもの。逆に、積み残したものが多くあるほど悔いることが多いのは想像に難くなく、やらなければならない、成し遂げるべき使命や役割を背負っているならば、そこに集中して日々の時間を使うべきだと思うのです。

北斗の拳より

なんとなく、こそ先送りの典型

終わりよければ全てよし。と言われますし、人生は山あり谷あり、いい時ばかりではないのはもちろんのこと、辛いことも悲しいことも悔しいことも繰り返し送ります。そんな紆余曲折あった人生の最期を迎える時に良い人生だったと笑えたらそれが最高だと思います。そうなるには、先送りの人生にしないことが肝要ですが、残念ながら今の日本では先送り人がスタンダードになってしまっていると感じています。それは、もちろん私を含めて若い時に人生の時間を何に使うかを考える機会が少なすぎることに起因しており、明確な目的もないまま社会に出て、なんとなく金を稼いでなんとなく暮らす人が圧倒的に多いことです。

志教育の学校を創設する理由

1億総先送り人、と言ってしまうと少し大げさかもしれませんが、高い志を掲げて明確な目的を持って人生に向き合っている人は本当にごくわずかで、人間誰しもが大きな才能を持っており、それを発揮すれば身の回りから徐々に影響力を広げて世の中を良くする可能性を秘めているにもかかわらず、それに気づかず無為な生活を送ってしまっている人があまりにも多いような気がします。とは言え、私自身も志を立てたのは30歳も半ばになってから、今50を過ぎて必死に巻き返しを図っています。次にこの世界を担っていく若者たちには私と同じ轍を踏まないようにできるだけ早い段階で何のために1階きりの人生の時間を使うのか、その問いに向き合う機会を作ってあげたいと思うのです。先送りを繰り返し、後悔する人生にならないように志を立てる職人育成の学校を作りたいと思うのです。

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建築実務者を中心に志を立てる研修事業を行っています。

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