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複雑怪奇でパラドックスな世界の読み解き方 〜爲㆑學日益、爲㆑道日損。損㆑之又損、以至於無㆑爲。〜

最近、悩みを抱えている、迷ってしまっているとの相談を良く受けたり、耳にしたりします。大の大人が悩むことですから単純な問題ではないのもは自明ですが、複雑で難解な問題と言うよりも、そもそも答えが無い、もしくは悩んでもしょうがない問いに振り回されている感が否めません。

環境問題は金儲けの道具なのか?

例えば、環境問題に対して熱心に取り組む、若しくは喧伝することでグローバリストが作った金儲けの仕組みに組み込まれてしまうと言う話があります。実際、数年前にカーボンオフセットをネタにCO2取引きを先物商品として売り出す詐欺まがいのマルチ商法が問題になりました。ちょうど洞爺湖サミットが行われた頃で毎日の様にTVから環境問題の話題が取り上げられた事もあり、結構な数の人が騙されて二酸化炭素の排出権をお金を出して買いました。私のところにも知り合いの知り合いの知り合いという薄い関係性の人がやってきて、環境問題について熱く語られて、これからは空気にお金を投資する時代だと熱心に説かれてました。

洞爺湖サミット

真実の中の嘘、嘘の中の真実

少し冷静になって考えればそんなバカなことが罷り通る訳は無いと思うのですが、実際に国家間では排出権の金銭的なやりとりが現実に行われる様になっています。確かに、生活や産業の営みの中で環境に負荷をかけないことは非常に重要です。CO2の排出が地球温暖化の直接原因になっているか否かの議論は置いておいたとしても、有限な化石燃料やその他の資源を湯水の様に使う、有害ガスを出しまくるのは避けるべきです。その正論を振りかざして実態の無いマルチビジネスに転換するのは如何なものかと思いますが、嘘の中に事実が混ざっているだけに判断が容易ではありません。馬鹿げている空気の取引はフェイクであり真実なのです。

利他の先の利己、利己の中の利他

また、昨日は他者貢献を理念に掲げるビジネスコミュニティで、目的をメンバー間の売り上げの増加と定め、中心的な活動やその手法を紹介マーケティングとしていることで、入会したのに収益が上がらないとのクレームが上がっているとの話を聞きました。利他と利己、元々相反する概念を一緒くたにしてコミュニティーを形成しているのだから、パラドックスが起こるのは当たり前の問題ですが、そもそも世の中はすべからず表裏一体だと認識していれば大きな違和感はありません。事業を継続するには収益が必要で、目先の収益ばかりの囚われると事業は続かないのが事実です。少し前にもこのnoteに書きましたが、事業における利他の心とは時間軸が長くなりますが、未来の利己的な側面を内包しているもの。それを理解出来ないのは幼稚に過ぎると思っています。

民主化が戦争を巻き起こす

とかくこの世は様々な問題が複雑に絡み合い、矛盾やジレンマが溢れかえる様相を呈しています。国が自らフェイクニュースを発信したり、メディアは本当のことを伝える機関ではなく産業の一部、資本家の手先として機能しています。真実を暴くと叫ぶ人は自らのポジションでの正義を振りかざしますし、多様性を認める時代だと言いながらも、いまだに誰もが宗教の違いによる相違を許しません。戦争は太古の昔から常に正義と正義の戦いです。私は21世紀になれば情報革命が世界に行き渡り、本物の時代がやってくると思っていましたが、民主化と言われる欧米勢力の拡張の結果、世界ではいつ世界大戦が勃発してもおかしくない状況になってしまいました。私が思っていたよりも世界は複雑で大国の利権や資本家の支配への執着、人の欲は一筋縄では解きほぐすことが出来ない、複雑怪奇な化け物なのだとひしひしと感じたこの一年でした。

出口の見えないウクライナ戦争

パラドックスは人にあり

世界中の誰しもが平和を望んでいる。人に喜ばれることをすると自分も嬉しくなる。自分だけが良ければそれでいい訳ではない。人と人が手を取り合い協力することで不可能が可能になる。人は誰しも良心を持っている。性善説に立脚して物事を考えれば、もっとシンプルに世の中を良く出来そうなものですが、そんなに簡単に進まないのは人の心の中には闇が潜んでいるからだと言われます。キリスト教では7つの大罪(暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、嫉妬、傲慢)としてそれを表しましたし、仏教では煩悩と呼ばれまてきました。一般的に108つあると認識されている煩悩を大別して三毒(貪欲、瞋恚、愚痴)といいます。残念ながら、これらは良心と共に常に人の心の奥に誰しもが抱えている闇であり、これらを全く抑え込むことが出来なければ人は人でなく鬼になってしまいます。世界は矛盾に満ち溢れている原因は、そもそも、人の存在自体がパラドックスな構造になっているということです。

誰もが在り方を問うべき時代

人類の有史以来、人は鬼になるか、仏になるかの戦いを続けてきました。そこで生み出されたのが宗教であり、人の道を説き、破滅を回避させる思想です。パンドラの箱を開けたかのような、魑魅魍魎が跋扈しているのが見えるようになった今の世の中に必要なのは人の中にある良知を解放する本質的な宗教や道徳なのかも知れません。しかし、長い歴史の中で宗教は権力者によって様々な使い方をされ続け、結局争いの種になってしまっています。違う文脈にリセットして、共通する価値観として概念化する必要があるように思います。しかし、時代に合わせた新たな概念も結局は経済的な戦略の一つのように扱われてしまいがち。無論、簡単ではありませんが、一人ひとりがどのように在るべきかとの問いを持ち、独自の倫理や道徳を持つこと、それを表出することが必要だと思うのです。

ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義

爲㆑學日益、爲㆑道日損。損㆑之又損、以至於無㆑爲。

このような悩みや迷いを人間は多分、有志以来ずっと持ち続けてきたのだと思います。そう考えれば、古典を今一度学び直した上で、今の世の中にあった観念を生み出すのが現実的かつ効果的な気がします。世の中はすべからず表裏一体、矛盾を抱えるパラドックスだと認識した上で、古人が悩み、迷い苦しんだ軌跡とそこから導き出した在り方を辿ってみるのが重要ではないかと思うのです。最近、私がひょんなきっかけで目にした老師はとにかく表裏一体論を延々と続けて書かれており、世の中の有り様とはまさに表裏一体、色即是空なのだと感じさせられる内容でした。道を修めれば損なっていく、損ない続けるところに道が開ける。との一文は複雑怪奇なこの世界を読み解くとても良い教科書になると思いました。まさに道が見えて来るのではないかと感じた次第。ご一読を強くお勧めします。
ちなみに、以下のwikisourceで八一章まで原文と訳文の全てを見れます。

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